本来、3月9日に出発する関空行きのフライトで、
日本へ完全帰国する予定だったのだ。
しかし、香港政府がコロナ水際対策を強化し、
3月の日本行き直行便が全て運休になった。
それで今日は朝から、
引越しの日程を変更したり、
ネット回線や日本のテレビの延長手続き、また、
フライトの変更手続き等でてんやわんやだった。
それでも、
手続きはパソコンの前だけで行なうことができ、
変更手続きはとてもスムーズに終わった。
とくに一番面倒なフライトの変更も、
電話に出たエクスペディアの担当者の方が
とても親切に対応してくれ、感謝感謝だった。
ランニング瞑想のおかげか、
(兄貴曰く:ヘタレ走り👈だまれっ!)
起きてくる事への抵抗はなくなっているので、
心配したり、ちょちょ舞ったり、とかはないのだが、
それでも、こういった事務的な処理をこなす中で、
様々な思いや思考は、勝手に湧きあがってくる。
航空会社の都合で運休になったのに、
フライト変更に手数料がかかるの?(実際は無料)
4月以降もフライトが運休になったらどうする?
もうそうなったら、部屋を引き払って、
あとはホテル住まいでもすればいっか?
以前の自分だったら、今起きている事に対して、
よい事か、よくない事か、を瞬時に判断し、
そこから湧き出る〝安心感〟や〝不安感〟に、
これはオーケー、これは気に入らない、と、
いちいち意味づけをして苦しんでいた。
ヘタレ走り(もとい、ランニング瞑想)
をしていた時に気づいたことがある。
例えば、
「そこにビルがある」と思ったとする。
すると、そこにビルがあると思った、
と〝思っている思い〟があることに気づく。
気づいた途端、
ビルがあると思った、と思っている、
と思っている思いが湧いていることに気づく。
そう、どこまで行っても想念だけで、
その想念を思っている正体にたどり着けない。
これまでは、想念だけがふっと湧いてきていて、
それを思っている主体となる自分はいないんだ、
と納得して終わっていたが、実際はそうではなく、
湧いてくる思いや思考が、そもそもすでに
〝神(愛)の想念〟だった。
全てが完璧な神として立ち上がっている想念を、
どこにもいない自分が思っていると勘違いし、
こんなことを思っている自分はイヤだ、
気に入らない、何とかせねば、とやっている。
僕たちはもう何もしなくていいのだ、
ていうか、何もできない。
起きていることに抵抗していても完璧であり、
イヤだイヤだとやっていてもすでに神なのだ。
それを何とかしようとする必要もない。
気に入らないものは気に入らない、で完璧だった。
自分はいないとか、世界は幻想、とかも、
そう思えなくても、その思いそのままで
すでにそれが〝神の想い〟なのだ。
どうや、兄貴、俺のヘタレ走りもすごいやろ!