香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

気配だけの自分

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⇧ 近所のお弁当屋さん

  3つのおかずが山盛り入ったお弁当が500円

  僕も毎日この長蛇の列に並んでいる

 

 

一度、ひとりきりで、何もせずに静かに座り、

 

自分がどこにいるかをじっくり探してみてほしい。

 

1分や2分ではなく30分くらい探してみてほしい。

 

こう言われると、スピの探求をやってきた人は、

 

「ああ、知ってる知ってる。それ、やったことある。

 

どこにも自分という実体なんかないんでしょ!」

 

となると思うのだが、そういうのさえ置いといて、

 

一度、真剣に自分を知覚しようとしてみてほしい。

 

 

普段、

 

何かを見たり、聞いたり、感じたり、思ったり、

 

喋ったり、行動したりしている自分が、

 

どこかに存在しているいるように思っているが、

 

じゃあ、その自分はどこにいるのかと問われれば

 

〝これが私だ〟というような確固たる実体は、

 

どこを探しても見つけられないはずである。

 

それでも、

 

肉体のどこかに自分がいる感じはあり

 

常に、自分という気配は知覚して過ごしている。

 

 

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⇧ もともと食堂だったが、営業時間の規制で

  お弁当屋さんにくら替えした。

  好きなおかずを3つ選んで500円!

  スタッフの人もとてもフレンドリーで好き!

 

 

じゃあ、

 

これら〝自分〟という感じや気配は何なのか、

 

とようく見てみれば、それは、見ること、聞くこと、

 

嗅ぐこと、味わうこと、感じること、思うこと、

 

の6感から成り立っていることが判かる。

 

これら6つの機能が総合的に組み合わさって、

 

〝自分〟らしき気配を形成しているのだ。

 

 

ただ、5感ではなく〝6感〟というところがミソで、

 

身体機能的な5感に〝思うこと〟が加わった時、

 

初めて〝自分〟(世界)が立ちあがってくる。

 

 

例えば、

 

きれいな人を見て、素敵だなあと思ったり、

 

バカという言葉を聞いて、この野郎と思ったり、

 

運子の匂いを嗅いで、クサッ、と思ったり、

 

ケーキを食べて、美味しいーっ、と思ったり、

 

寒さを感じて、コートを着よう、と思ったりする。

 

また何の脈絡もなく、あの人に会いたい、

 

と思っても、それもまた、以前、その人を見た

 

ことがあるからこそ立ち上がる思いである。

 

 

こういう風に、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、

 

から勝手に思いが経ちあがってきているのを、

 

自分だと思っている。

 

逆に、5感がなければ思いは立ち上がってこれず

 

〝自分〟という気配も感じることができない。

 

その事実に触れた時、この6感の活動だけがあり

 

その活動を制御する自分なんてどこにもいない

 

ことが明白になる。

 

 

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そして、これら6感の活動のほとんどは、

 

目、耳、口、鼻、皮膚、脳、といった、

 

首から上にある機能だけで行われている。

 

言わば、自分と思っているものの事実は、

 

首から上の活動そのものでしかない。

 

首から上に世界が乗っかっており、

 

首から上でいきなり活動が展開している。

 

そこに、

 

自分の顔、などというものは存在しない。

 

 

その6感の活動自体をきちんと生き切る時、

 

6感の活動以前に在るものハッキリする。

 

 

じゃあ、生き切るとはどういうことか。

 

次回につづく…。(疲れたから)