👆 コロナ禍の蘭桂坊
僕たちは二元性の世界に生きている、
と思っているが、実はそうではないという話である。
この世界のあらゆるものは〝二つ〟でできている。
身体を見ても、目、耳、肺、手、足、は二つあるし、
脳も左脳と右脳に分かれている。
そのほか、男と女、善と悪、陰と陽、上と下、など、
全てが二元(ふたつ)に分離しているように見える。
しかし、概念ではそう言えるかもしれないが、
実際にどうなっているかというと、僕たちは、
二つを〝一度に別々に〟見ることはできないし、
二つを〝一度に別々に〟聞くことはできないし、
二つを〝一度に別々に〟感じることはできないし、
二つを〝一度に別々に〟思うこともできない。
肉体の五感の働きは二元にはなっていないのだ。
左の景色を見ながら右の景色は見れないし、
甘い物と辛い物を同時に口にしても、
辛い物と甘い物を別々に味わうことはできない。
思いや考えさえも、テレビを見て笑いながら、
明日の仕事のことを考えていないはずだ。
スマホを見ながら運転をしていても、
必ず、数秒スマホを見てから、前方を見る、
を繰り返しているはずであり、その瞬間は必ず
〝ひとつ〟のことしかできていないのだ。
本当は〝ひとつ〟を見る機能しかないのに、
男と女=二元、右と左=分離、というふうに、
ふたつある、と概念でその存在を信じている。
しかし実際には、
今この瞬間の〝ひとつ〟しか味わっていない。
こう書くとまた、五感に意識を向け、
そのように見ようとしてしまったり、
これは非二元であり、純粋非二元ではない、と、
人の言っていることをこねくり回して
意見したりしてしまいがちだが、
そんな余計なことさえしなければ、いますぐに、
ひとつしかない世界にいることが見抜ける。
(そこにいる誰かもいないことが見抜ける)
そうして、すでにむき出しになっている
ひとつの世界が明らかになった瞬間、
想像を超えた真理がつまびらかになる。