香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

それでいいのだ

👆 2012年に行ったマチュピチュの月の神殿

   この石の空間は波動調整器

   この中で瞑想をしたあと光の粒子が飛び始めた

   ここまで行くのに本当に大変だった

   

 

読者の皆さんはご周知のことと思うが、

 

僕は今、実家で母と暮らしている。

 

母にしてみれば、父を失くして一年足らず、

 

ようやく一人暮らしにも慣れてきたなと思った矢先、

 

30年もの間家を出ていた放蕩息子が戻ってきて、

 

飯を食わせたり、洗濯したり、しなければならない。

 

僕は僕で、香港での気ままな生活とは打って変わり、

 

高齢の母の生活リズムを崩さぬよう、

 

夜の外出は控えたり、力仕事は率先してやったり、と、

 

いろいろ気を使わねばならなくなった。

 

この様に、異なる生活をしてきた二人が同居すると、

 

いくら親子といえども、摩擦が起きるのは必至である。

 

 

今日も母が、テレビのリモコンが無い無いというので、

 

リビングの食卓の上にあったリモコンを渡すと、

 

「リモコンを使ったら、ちゃんとテレビの下に置いといて

 

もらわんと、どこに行ったかいちいち探さんならん」

 

と、まるでこっちが悪いみたいに言われたので、

 

「リモコンをここに置いたんは俺ちゃうし、

 

   それにテレビのところへリモコンを取りに行って

 

   チャンネル変えて、またテレビの所に戻してたら、

 

  リモコンの意味がないやろ。リモコンていうのは、

 

  遠くから操作ができるからリモコンていうんやっ!」

 

と、少々キレ気味な口調で言い返した。

 

「ちょっと言うただけで何でそんな怒られなあかんのよ」

 

と、そこからひとしきり言い合いが始まったりする。

 

それでも、3分ほどすると、一緒にアイスを食べながら

 

テレビを見て笑ったりしているから、親子って不思議だ。

 

 

そして、これでいいのだと思う。

 

親子、兄弟、恋人、夫婦、同僚、友達、嫁姑、など、

 

親しい者同士で言い合いをするのは愛の表現でもある。

 

たとえそれがどんなに醜い言い争いであっても、

 

その時その瞬間どんなに相手を憎んでいたとしても、

 

また、それが何回繰り返されたとしても、問題ない。

 

瞬間瞬間きちんと決着がついて消えていっている。

 

余計なことをせずに普通にしていれば、

 

次の瞬間には留まることなく変わってゆく。

 

 

僕たちはこれまでもそうやって生きてきている筈なのだ。

 

典型的な大阪のおばちゃんなんかは、

 

さっきまでぶつぶつ文句を言っていたかと思うと、

 

次の瞬間には大声で笑っていたりする。

 

ただ、悟った人と、大阪のおばちゃんとの違いは何か、

 

というと、そこに「瞬間瞬間完了して救われ切っている」

 

という〝智覚〟があるかないか、だけである。

 

しかし、この差は大きくて、智覚があることで、

 

ただ起こることが起こっているだけ、とか、

 

これ以外何もない、などといったつまらない領域を

 

はるかに超えた実相が明らかになる。

 

 

喧嘩し合っている夫婦って案外離婚しないものだし、

 

思いをぶつけることで親友の絆が深まったりする。

 

消えゆく姿として赦されていることが理解されていると

 

最初は相手を変えようとして始めた喧嘩も、やがて、

 

相手を理解し、受け入れ、認めていくプロセスになる。

 

 

 

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僕たちスピ兄弟は、ネガティブな感情を表に出すと、

 

現実(自我)を実在化させていることになる、とか、

 

この戦いの周波数がまた悪い現実を引き寄せる、とか、

 

なによりも、相手から何か言い返されるのが怖いので、

 

できれば、何も言わずに愛に変えようとするのだが、

 

言わなくても思っている時点で同じである。(爆)

 

それで、その負の感情を、赦したり、統合したり、

 

感謝に変えたり、全受容しようとしたりする。

 

もちろん、それらの実践をすることによって、

 

赦され、統合され、完了したことが確認できるので、

 

実践メソッドを使うことはアリだと思う。

 

しかし本当は、いかなる実践をしなくても、

 

瞬間瞬間、赦され、統合され、手放されて行っている。

 

 

だからと言って、何でもかんでも感情を表に出して

 

言い合いをしろ、と言っているのでは決してない。

 

問題は、相手に何か言うことはよくないことだ、

 

(言いたくても言えないも含めて…)

 

という思い込みだ。