香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ゼロの輝き

 

 

高野山の奥の院を散策していた時に思ったことを書く。

 

 

たった二か月まで、あの香港の喧騒の中にいたのに、

 

今はこんな山奥でヒグラシの鳴き声を聞いている。

 

これは2か月前の僕には想像すらできなかった光景だ。

 

これと同じように、2か月後にみている光景は、きっと

 

今の自分が予想もしていないもののはずだ。

 

そういう意味で、

 

次はどんな風景が僕の舞台に出現してくるのだろう、

 

またどんな人が僕の人生に顕われてくるのだろう、

 

こんな人とあんな事が出来たらいいなと考えただけで

 

なんか、ウキウキと気分がよくなってくるではないか。

 

ソウルメイトばりのパートナーと出会って、

 

韓流ドラマのような恋をしているかもしれない。

 

しかし、ほとんどの人は、いや全員、

 

そんなことは起こりえない、なぜなら、自分は会社員で

 

出会いなんかないし、年も年だし、見た目もこんなで…、

 

と、背後に開かれた無限の可能性を否定してしまう。

 

 

会社員だった頃の僕がそうだった。

 

明日も、来週も、1年後も、たぶんこんな場所で、

 

こんな人達とこんな事をしているのだろうな、と、

 

なんとなく推測できる日常を送っていた。

 

しかし、人生のゼロ地点に立っている今この瞬間、

 

自分は無限のパラレルを選択できる位置にいるのだ、

 

と、思い切り実感できる。

 

そして、これが〝自分に戻る〟ということなのだ。

 

なぜなら、会社にいた頃は、一日の3分の2以上を、

 

自分以外のことに費やしていたので、どうしても、

 

無限の選択ができるゼロの位置に立てなかった。

 

しかもこれには、自分で決める、ということが重要で、

 

定年で自動的に会社という枠から解放されました、

 

ではだめで、そこに自分の意志がなければ、

 

容易にまた、ほかの枠に入っていってしまう。

 

まあ、だからと言って、

 

ムリクリ会社を辞める必要などないと思うが、

 

心が癒されてくると、もうここではないよ、という声が

 

自然と聞こえてくるはずで、そんなときは、

 

その声を無視したり、聞こえないふりをしないことだ。

 

 

 

 

以前の僕は、

 

このゼロの地点に立つことが激コワだった。

 

何度も会社を辞め、このゼロ地点に戻っては、

 

怖くなって、再び安定に逃げ帰る、を繰り返していた。

 

だが実際に、この地点こそが、今この瞬間であり、

 

決断の主体の位置であり、選び直す場所であり、

 

引き寄せポイントであり、光の磁場への入り口であり、

 

〝私〟などいないことが明確になる(〝私〟が消える)

 

領域であり、背後の神へと通ずる道である、

 

と、理解が起きて以降、何があっても大丈夫になった。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

要するに、この無限の全体への位置に立つには、

 

力強く決断しなければならない、ということである。

 

それが僕らに求められているほんの少しの意欲であり、

 

そして、その〝絶対的大丈夫感〟は、

 

「ぎゃあーっ!怖いーっ!」と叫びながらエイヤーッ、

 

と、崖の上から飛び降りた瞬間に明らかになる。

 

(※明らかにならずにえらい目に遭うこともあります)

 

そのために、何の実践も、修行も、努力も、必要ない。