スペンサー・ジョンソン著の『迷路の外には何がある?』
という本を紀伊国屋書店で見つけ、何気なく買った。
20年くらい前に出版された『チーズはどこへいった?』
の続編らしく、僕はその本を読んではいないのだが、
直観に惹かれて購入したのだった。
迷路に住む小人の話で、
以前はチーズがそこここで見つけられていたのに、
ある時から、パタリとチーズが消えてしまい、
しかし、ここで待っていれば、また昔のように、
チーズはやってくると思ってずっと留まるのだが、
チーズは一向に現れない。
空腹で業を煮やした主人公は迷路の旅に出るのだが、
やがて、あのチーズは一体どこから来ていたのだろう、
と考えるようになり、迷路の外には一体何があるのか、
という疑問が頭をもたげ…、とまあ、1時間足らずで
読めてしまう内容なのだが、その物語の裏には、
何かとてつもなくすごいことが書かれていて、
そのことに気づける人にしか理解できない、といった、
壮大な意図が隠されている作品のような気がした。
〝信念〟についてがこの本のテーマである。
信念とは、正しいと信じる自分の考え、のことで、
生きている限り、僕達は信念からは逃れられない。
奇跡講座、悟り系、バシャール、非二元、引き寄せ、
何かのスピを実践するのも、それが正しい、
という信念があるから実践しているわけだし、
毎日会社へ行くのも、そこへ行けばお金が得られる、
という信念に基づいている。
アマゾンやネットで買い物をするのだって、
必ず商品が送られてくるという信念があるから、
先にお金を払えるのである。
そう、僕達はたくさんのことを信じているからこそ、
こうやって日常生活を送れているのだ。
しかし、何かに行き詰って、その信念が揺らいだ時、
僕達は非常に動揺し、不安になり、恐怖におののく。
自分は間違っていたのか、この信念のまま行くべきか、
それとも、別の信念を見つけるべきなのか、と…。
例えば、
長年この方法でやってきて上手くいっていたものが、
突然行き詰ってしまった時、皆さんはどうするだろうか。
これまでの信念を貫き、ここを乗り切ればうまくいくかも、
と、耐えて耐えて、その場に踏みとどまるか、それとも、
信念を変えて、全く新たなやり方を試してみるか。
僕の場合は後者である。
この幻想の世界に変化しないものなんてないのだから、
信念が変化するのも至極当然のことだと思ってしまう。
しかし、今の僕の場合、今この瞬間瞬間で、
信念がコロコロ変化してしまい、それでついに、
これって〝信念などない〟のと同じなのではないか、
という結論に達した。
そして、状況によってコロコロ変わるような信念など、
全く相手にしないでいると、
何があっても大丈夫な赦され切った様相が、この、
見えているもの、聞こえているもの、感じているもの、
匂っているもの、味わっているもの、思いっているもの
そのものとして明確になっているのが解かる。
👆『頭のない男』より
宇宙すべてが…と言ってしまうとピンとこないので、
もっともっとベタな言い方をすれば、
大金もちの人が持っている全ての富、
街行く美女(またはイケメン)、
この人の成功、あの人の悦び、
これら自分とは別のものと思っていた豊かさが、
全部、自分のものとしてここにある。
そこに周波数を合わせようとしなくても、
波動を変えなくても、その事実が頭でではなく、
ストーンと明らかになれば、この豊かさは、
全部自分のものだということがハッキリする。
しかし、説明の便宜上〝自分〟と言ってはいるが、
何かを所有している自分などもともと存在しない。
究極の真理を悟った人から見たら、
そうではないんですよ、と言われたとしても、
まずはここからでいい、と思うのだ。
一気に究極へ振り切ろうとすると、逆にブレる。
信念を変えるのではなく、取り下げてみる。
これだけでも見える景色はずいぶん違ってくる。