👆 下手すぎて泣けてくる!
奇跡講座では、過去や未来に対するあれこれの想い
仕事での厄介ごとにたいする不安や恐怖、
大きなトラウマになっている癒されない感情、
または、今出てきている、ちょっとしたどうしよう、
などを、全部聖霊兄貴に捧げ切りなさいというが、
実際には、これらの想いは手放さずにそのままで、
「兄貴、どうぞここへ来て私を癒してください」
とやっている。
どういうことかというと、兄貴に捧げ切るというのは、
先ずは自ら檻を出て、
自分の檻の中に溜め込んだ全てのゴミを、
一旦、檻の外にあるゴミ置き場(祭壇)に置き、
それを兄貴に回収してもらうことなのに、
僕たちは、自分は檻から出ずに、
兄貴の方から檻の中へ入ってきてもらい、
檻の中を居心地よく変えてもらうとしている。
要は、環境は変えずに(檻からは出ずに)、
イヤな感じを(ゴミは捨てずに)、
イイ感じに変えて(問題を解決して)
もらおうと考えているのだ。
僕も本当の意味で、兄貴に全てを捧げ切ることが
できるようになったのは会社を辞めてからだと思う。
それまでは、会社という檻の中に居座ったまま、
その檻の中で出てくる様々なゴミ(人間関係など)を、
兄貴に癒して(変えて)もらい、檻の中(会社)を、
動揺や葛藤のない、
愛の場所にしてほしい、と(無意識に)願っていた。
もちろん、〝檻〟のありようは人それぞれなので、
会社が〝檻〟ではない人もたくさんいるだろう。
仕事が大好きで、同僚が大好きで、月曜が大好きで、
もっともっとバリバリ活躍したい人もいるはずだ。
しかし、僕の場合はそうではなかった。
慣れている環境でもあるし、何とかやっては行けるが、
自分が拒否している場所(檻)を出ることなく、
聖霊よ、私を癒してください、とやっても、
居たくない場所でやりたくないことをしているので、
捧げても捧げても、葛藤が尽きることはない。
それは、
聖霊を自分の檻の中に引っ張り込もうとするのと同様
完全に無意味である。
なんせ、僕たちはゴミを宝物だと思っていて、
また、こんなゴミでも、何もないよりかはマシ、
と思っているので、怖くて手放せないのだ。
ほんの少しの意欲を出して、
そのゴミを全部ゴミ置き場に置きさえすれば、
兄貴はもっとよいものを与えようとしているのに…。
会社なんて辞めちゃっても全然大丈夫だよ、
(あくまで僕の場合なので、よい子は真似しないでね)
檻なんか無いんだよ、全部こっちによこせ、
そこには完璧な愛と癒しが待っているよ、と兄貴は言う。
落ち切って、決着しきって、捧げ切っている、
今この瞬間の僕は、どんなことがあっても大丈夫だ。
檻の中で、聖霊に明け渡しているつもりになって過ごすか、
檻から出て真に捧げ切り、
完璧な愛と癒しをつまびらかにするか、
こればかりは自分で決断するしかない。
さあ、あなたならどうする?