👆 暑い!お昼は、そばと鰻とビールっ!
以前、一人暮らしの物件が決まったと言っていたが、
その保障会社の審査が通ったので、
正式に9月16日から入居が可能になった。
(※9月3日に現入居者が出てそれからリフォーム)
家具、電化製品、カーテン、物干ざお、収納BOXなど
全部付いているので、買い足すものと言えば、
食器、寝具、調理器具、あとは洗剤くらいである。
ただ、引っ越しまで、まだ日にちがあったことと、
保障会社の審査待ちだったため、
母にはまだ一人暮らしをすることを伝えられていない。
それでも、いざ話をするとなると躊躇してしまう。
母を一人置いていくようで、なんだか後ろめたいのだ。
いつも、文句ばかり言っている母ではあるが、
30年も外国にいた息子がやっと帰ってきたと思ったら、
また出ていくのである。やっぱり罪悪感は出てくる。
幸い、母はまだ足腰はしっかりしていて、
自分で生活するのには不自由はしていない。
僕がいると食事の買い物や洗濯など、負担が増える。
また、僕は僕で、畳での生活がダメになっている。
それに、規則正しい生活を強いられるので、
昼夜問わず、一人執筆活動に没入したい僕とは、
生活パターンが完全に合わない。
それに何より、30年もの間、誰からも束縛されず、
ひとり、自由気ままに暮らして来た僕が、親子とはいえ
今更誰かと同居なんて、どだい無理な話なのだ。
今日も、僕の一人暮らし計画を知っている妹が、
たまたま実家に立ち寄った際に、不動産屋の担当者
から来ていたお礼のはがきをポストに見つけ、
こっそり僕に手渡してくれた。(妹よ!ナイスジョブ!)
罪悪感や後ろめたさを、
何の解釈も無しに兄貴に捧げる。
罪悪感は、もともと神の至悦の法悦感そのものなので、
嫌だとか、何とかしようとか、明け渡そうとか思わない。
そんな自分もなく、ただそのままを捧げている。
すると、悪感は解体され、
ハートの想い(愛の想い)が復活してくる。
そうやって、神が世界に反映されてくる。
コップに、家具に、食べ物に、人に、愛が反映されてくる。
とまあ、そんなこんなで、ちゃんと捧げ、
ハートの想い(愛・実相の想念)で、
母には報告しようと思っている。