👆 帰国後二回目の散髪
店主と相談し、今後は刈り上げをやめ、
秋から冬にかけ髪を伸ばしてゆく計画
お金が欲しい/素敵な恋人がほしい(神が欲しい)⇒
お金が入った/恋人をゲット(神を手に入れた)⇒
嬉しい/幸せ/ウキウキ(それが神を感じているということ)
現実をよくしようとすることが自我なのではない。
〝現実だけ〟をよくしようとすることが自我である。
現実がよくなった時に感じる安堵感、平安、悦び、
それを神からの悦びとしてちゃんと感じることが、
神からの愛してるを受け取るということになる。
美味しいものを食べた時の「おいしいーっ」という感覚、
子供やペットの無垢な姿に癒される感覚、
店員さんの素晴らしいサービスに感動した時、
神からの愛してるを受け取っている。
小さな悦びに神を感じることができたなら、
すでに捧げ切っている。
行動は自然に起こり、物事は自然に運ぶ。
自分の夢の世界の中に恐れている兄弟がいれば、
自分の中のどこかで恐れている部分があるということ。
逆に、悦んでいる兄弟がいればそれは、
自分の心の、悦んでいる部分の顕われなのだ。
こうして、自分の心の状態が現像に反映されている。
だから、自分が悦んでいることがなにより大事である。
自分が悦んでいるということは、何をしなくてももう、
世界や兄弟に与えているのと同じなのだ。
自分が悦んでいるのは神が悦んでいるのと同じであり、
神はただ、愛しているとしか歌わない。
日常の小さな悦びから、
〝愛している〟という唯一の解釈に気づくとき、
僕たちは、世界が〝本当に無かった〟ことを理解する。