香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

食い気味によろこべ!

👆 帰国後二回目の散髪
   店主と相談し、今後は刈り上げをやめ、

   秋から冬にかけ髪を伸ばしてゆく計画

 

 

お金が欲しい/素敵な恋人がほしい(神が欲しい)⇒

 

お金が入った/恋人をゲット(神を手に入れた)⇒

 

嬉しい/幸せ/ウキウキ(それが神を感じているということ)

 

 

現実をよくしようとすることが自我なのではない。

 

〝現実だけ〟をよくしようとすることが自我である。

 

現実がよくなった時に感じる安堵感、平安、悦び、

 

それを神からの悦びとしてちゃんと感じることが、

 

神からの愛してるを受け取るということになる。

 

 

美味しいものを食べた時の「おいしいーっ」という感覚、

 

子供やペットの無垢な姿に癒される感覚、

 

店員さんの素晴らしいサービスに感動した時、

 

神からの愛してるを受け取っている。

 

小さな悦びに神を感じることができたなら、

 

すでに捧げ切っている。

 

行動は自然に起こり、物事は自然に運ぶ。

 

 

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自分の夢の世界の中に恐れている兄弟がいれば、

 

自分の中のどこかで恐れている部分があるということ。

 

逆に、悦んでいる兄弟がいればそれは、

 

自分の心の、悦んでいる部分の顕われなのだ。

 

こうして、自分の心の状態が現像に反映されている。

 

だから、自分が悦んでいることがなにより大事である。

 

自分が悦んでいるということは、何をしなくてももう、

 

世界や兄弟に与えているのと同じなのだ。

 

自分が悦んでいるのは神が悦んでいるのと同じであり、

 

神はただ、愛しているとしか歌わない。

 

日常の小さな悦びから、

 

〝愛している〟という唯一の解釈に気づくとき、

 

僕たちは、世界が〝本当に無かった〟ことを理解する。