👆 引っ越しを控え、食器や台所用品を中心に
今日は阪急百貨店をいろいろ見て回った
いまの僕はもう、完全に兄貴一択である。
絶対的信頼があり、兄貴以外の何にも頼らない。
こう書くとまるで兄貴という人格が存在するみたいだが
そうではなく、確かな〝体験〟として認識されている。
いわば、故郷へ還るための〝方便〟のようなものである。
最初、自分と兄貴との間には距離があった。
別の場所にいる誰かに自分を委ねている感じだった。
しかし、今年の春節のアレ(爆)以降、
自分という解釈が落ち、実相が露わになるにつれ、
自分なんか無しに兄貴そのままでバーン、となった。
(※いい加減な表現ですんません!)
そして、自分無しに距離ゼロで世界となった瞬間、
兄貴はもう、交流したり、導いてもらう相手ではなく、
〝道〟そのものとなっている。
👆 大好きなものをひとつだけ、をコンセプトに
食器類を選んでゆく
兄貴のメッセージの中で最も大きかったことは、
スピ的な何かを実践しても、何かに気づいたとしても、
決して実相(天国)は明らかにならないということだ。
これは僕が仕事を手放して一番感じたことなのだが、
僕たちは、常に何かをしていないと不安になる。
何もしていないと、自分はこの世界では無価値で、
消えて行ってしまいそうな恐怖に襲われるのだ。
しかし、何もするな、普通にしていろ、と兄貴は言う。
そんな自分など消えて行っていいのだ、と…。
そんな自分をそのまま全部こちらへ渡せ、と…。
こうして、そんなこんなやっていたら、
心(ハードディスク)に隙間(空き容量)ができたからか
兄貴がストン、と距離ゼロで操縦席に入ってきた。
くどいようだけれど、
説明するための方便として〝兄貴〟と呼んでいるが、
そんな誰かがいる訳でもなければ、存在でもない。
ましてや、本当のナンチャラ、などではさらさらない。
兄貴を、
学んだ事(理論)を使って理解しようとしてはならない。
苦痛であれ、快楽であれ、感じることから理解する。