夢の外へ出たとか、思い込みの檻から脱出したとか
自分なしで距離ゼロでここ、とか言ってはいるけれど、
だんだん感じ方が進んで、中とか外とか、距離とか、
そういうのも関係ないことが明らかになり始めている。
しかし、何の体感も無しに、この話だけを聞いて、
檻なんてないんだ、夢の外とかも幻想なんだ、
という所へ行ってしまうと、まったくズレてしまう。
目醒める、実相へ還る、ことにおいて、
最後は、体感(感じること)が全てであるので、
それにはまず、夢の外へ出ることを体感したり、
檻から出る〝体験〟をする必要があるのだ。
会社勤めを手放そうが手放すまいが、
檻にしている関係を断ち切ろうが続けようが、
実相とは何の関係もないのでどうでもいい、
という人もいるが、これはたぶん、
お勉強(頭や理論)で学んだ知識を事実にあてはめて
解釈しようとした結果、出てきた考えなのかもしれない。
自分の肉体、思い、どうすべきか決めかねている事、
全てを兄貴に渡してしまった後、実際の日常生活で、
どうやって判断や決定をしてゆけばいいのか、
とよく聞かれるが、僕の場合、
現実世界の中で、もうこれはやめた方がいい、とか、
こうしたほうがいい、というのは〝体感〟でわかる。
頭ではない。
こうこうこうだからこっちの方がいい、ではないのだ。
👆 ものすごい光を感じて思わずパチリ
今の僕の境涯を例にとってみると、先日も書いたが、
日本語の教師の養成講座を受講しようか迷っている。
語学オタクで、物書き大好きな僕にしてみれば、
日本語教師は、外国の人達と交流するツールとなり、
日本語というものをちゃんと学ぶ機会となる。
しかしその反面、それなりに費用も時間もかかる。
なにより日本語教師の資格を取るには、
240時間の受講が必要で、それでこの学校では、
週三回半年間のカリキュラムがみっちり組まれている。
オンライン授業の学校もあるが、昭和な僕はやはり、
学校に通って学びたいのだ。(特に語学系は…)
そうなると、半年間、気軽に旅行とかへは行けないし、
ちょっと香港や台湾へ二週間、とかもできなくなる。
東京の兄弟てっちゃんとか、鹿児島のK女史とか、
東京(一応)のつくしさんとか、にも会いに行けない。
じゃあ、もしこれらのことがなかったらどうしたいのか。
これがあるからダメ、あれがあるからできない、を、
全部取り払ったら自分はどうしたいのかを感じてみる。
〝本音の自分〟を感じるのだ。(考えるのではない)
そこに兄貴からのメッセージがある。
そして、兄貴と交流するとはこういうことである。
僕の場合、会社ではこれができなかった。
根拠や理由のない行動は却下されてしまうのだ。
そしてこれ以上、
兄貴も神も拒絶した世界(檻)にいるのは無理だ、
と感じた。(思ったのではない)
まあ、僕の場合は、家族もローンもなく、男一匹、
どうとでもなるので即実行できたが、そうでない人は、
会社を辞めたり、現状から去る必要はなく、
ただ、家族も、しがらみも、何も無かったら、
本当の本当の本当はどうしたいのか、を、
ちゃんと感じておいてやることがとても重要である。
自分には家族があり、こういう理由があるので、
今は、檻の中にいる、と力強く決断してやる。
そうすることで、本音の自分が戻ってくる。
なぜなら、檻の中に居る今の境遇を無視して、
本当はすでに天国にいるんだ、本当は愛なんだ、
とやることほど、空しいことはないから…。