香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ずっとあるもの

 

 

僕達は世界は在ると思って生活しているが、これ全部

 

自分の目で見ているもの、自分の耳で聞いているもの

 

自分の鼻で匂っているもの、自分の肌で感じてるもの

 

自分の舌で味わっているものの結果である。

 

なので五感でその世界を察知した時には、

 

すでにその世界は終わってしまっている。

 

この事実は僕に大きな救いをもたらした。

 

これら五感で起こっていることだけに委ねていれば

 

なんの問題もなかったことが明確になったのだ。

 

 



目の前をきれいな女性が通り過ぎ、きれいな人だな、

 

という思いが湧いたなら、それでカタがついている。

 

そこに、俺みたいな男は相手にもされない、などと、

 

余計な囁きに取り合ってしまうから苦しくなったりする。

 

そして、この〝嘘のささやき〟だけが問題だった。

 

 

おなかが痛い、なら、おなかが痛い、が結果だ。

 

それが結果なので、それ以外どうすることもできない。

 

逆に、おなか痛い、だからこそ安心なのだ。

 

なのに、何かの病気だったらどうしよう、と、

 

立ち上がってきた余計な思いに囚われるから苦しい。

 

 

 

 

そうなのだ。

 

五感で知覚したものに付随して立ち上がってきた想い

 

を真に受けることが唯一にして最大の問題だった。

 

 

世界は5感が作り出している。

 

もし、目が見えず、耳が聞こえず、匂いも感知できず、

 

味も分からず、触覚もなかったら、世界など無い。

 

世界はあるけど、自分には5感がないので

 

感知できない、ではないのだ。

 

 

私が見ている、ではなく、見えている。

 

私がそれを聞いた、ではなく、聞こえている。

 

見る以前に見えてしまっているのであり、

 

聞く前に聞こえてしまっている。

 

見た時点で、聞いた時点で、すでに過去である。

 

 

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見えているものを通して、

 

見えている以前から在るものを智る。

 

ただ、余計な嘘のささやきを完全にスルーし、

 

5感の顕われそれそのもので在るとき、

 

何の問題もなかったことを智覚するのだ。