いま、大学時代の自分と向き合っている。
やってくるものに抵抗せず、任せきって動いていると、
パッ、パッ、パッ、と奇跡的なシーンが置かれてゆく。
そして、自分の中で整理をつけるためにも、
今回の物語を記しておこうと思った。
僕には、大学時代の親友と呼べる友人が二人いる。
一人は、雄太と言い、大学では中国語を専攻していた。
野球とマラソンが好きな体育会系の男で、
彼の夢は、社長になって会社経営をすることだった。
もう一人は、孝弘と言って、僕と同じ英語専攻の
ビートルズ大好きなストリートミュージシャンだ。
それで僕はと言えば、外国で暮らすことを夢見る、
小説家志望の青二才であった。
語学系の学部で学んでいた僕たち三人は、
授業が終わると、駅前の喫茶店で遅くまでダベリ、
語学や文学や将来の夢について熱く語り合っていた。
大学卒業後、雄太は上海へ留学し、その後、
数年間民間企業に勤めた後、自ら会社を立ち上げ、
中国シルクを輸入して販売する商売を始めた。
孝弘は、工場でアルバイトをしながら、ギター片手に、
道頓堀のストリートでビートルズを歌っていた。
僕は、小説家志望はどこへやら、企業に就職し、
その後、中国に留学して香港で暮らし始めた。
三人の関係は大学時代から微妙だった。
雄太と僕が、時折ぶつかり合ったりしながら、
その仲を孝弘がうまく取り持つ、みたいな感じで、
それでも、三人、深いところでは常につながっていた。
そして2008年当時、
僕は自分の小説を台湾で出版したいと考えていて、
日本語の小説を中国語に翻訳できる人を探していた。
その事をたまたま香港にやって来た雄太に相談すると、
彼は知り合いの上海人を紹介してくれ、
彼と一緒に上海でその翻訳者に会い、契約を交わした。
しかしその後、リーマンショックの煽りを食らった僕は
香港で就職先を見つけられず、経理部長として、
ベトナムのハノイに赴任することになったのだ。
無線電話を製造する2万人規模の工場だったが、
東証一部の上場企業なのに、相当なブラックだった。
朝、5時に起きて朝食をとった後、6時に迎えの車が
ホテルへやってくる。7時の早朝全社ミーティングの後、
翌日深夜1時まで仕事をしてホテルへ戻る。
休みは日曜のみで、もちろん休日は寝て終わり、だ。
その間、例の翻訳は終わっていたが、
忙しすぎて翻訳料の振り込みができずにいた。
というか、あまりの過酷労働に頭がもうろうとして、
相手に事情を説明する思考も働かない状況だった。
その間、翻訳者の上海人は、翻訳料がもらえない、と
かなりひどい言葉で雄太のことを罵倒したようである。
そして、音信不通な僕に幻滅した彼は僕と絶縁をした。
その後、春節の休暇で香港へ戻った時に、
なんとか翻訳料を先方に振り込むことができたが、
雄太との関係は修復できず、
そのまま縁は絶たれたままになってしまった。
つづく…。