👆 浜松町の消火栓
少し前の話になるが、
スワットしおちゃんと茶屋町で飲んでいる最中、
孝弘から電話がかかってきた。
前回彼に貸したアニータの本にすごく感銘したので、
自分用にもう一冊購入してくれないかという。
というのも、
彼は現在クレジットカードを持っていないため、
代わりにネットで購入してほしいと言ってきたのだ。
貸している俺の本をあげるよ、と言ったのだが、
どうしても自分用に新品の本がほしいらしい。
その夜、アマゾンで手配し、あくる日に本は到着した。
で、孝弘は本を受け取りに僕の家までやって来た。
僕の家にやってきた初めての客が孝弘とは…トホホ…。
彼はラム酒、僕は白ワインで乾杯し、だべった。
👆 梅田の消火栓
〝自分は他の人より劣っている〟
という感覚から抜け出せないでいるのだ、
と彼は語った。
アニータがどんなに、存在するだけで価値がある、
と言っても、無価値感が容赦なく襲ってくるのだ、と…。
その時、なぜか僕は、
あの、コンババ部長タメ口事件を思い出していた。
年下の上司からタメ口をきかれ、
無価値感と怒りで心の中は修羅と化していたが、
ちゃんと相手に直接言葉で思いをぶつけたことで、
その無価値感が瞬時に消えてしまった事実を、
気がつけば孝弘に語っていた。
語り終えた時、なぜか、雄太のことが頭に浮かんだ。
当時の僕は、彼に対して、様々な不義理をしてきた。
今度は僕がコンババ部長になる番だ、と思ったのだ。
孝弘が帰った後、十数年ぶりに雄太に電話してみた。
「おお、周作か。どうしてんねん」
彼は驚いていた。
それから、その当時の自分の行いを彼に詫びた。
(※僕らの時代-1 をご参照願います)
「昔のことやし、そんなん、もうええよ」と言ってくれた。
実際、彼がどう思っているか、真偽は定かではないが、
今の僕には謝ること以外、何もできることはなかった。
それで彼がどう思おうと、もうどうすることもできない。
そうなのだ。相手が問題なのではないのだ。
自分の中の赦されない想いだけが問題だった。
別れ際、孝弘が僕に銀行の封筒を差し出した。
何かと聞けば、以前僕から借りていたお金だという。
それはもう、何十年も前に貸したもので、
自分でもすっかり忘れていた。
親友なら固辞するのが常識だが、僕は受け取った。
なぜなら、僕と同様、彼もまた、過去の自分と向き合い
心の中の無価値感に決着をつけようとしているのだ、
ということが心底理解できたからだ。
だから、彼がお金を借りた時の気持ちを考えた時、
僕は、悦んでこのお金を受け取るべきだと思ったのだ。
そういう僕もまた、五十ン年生きてきた中で、
決着をつけるべき相手は一人や二人ではない。
僕が日本へ戻って来たのは、
そういった人たちと向き合うためだった、
と言っても過言ではないと思っている。
何か行動を起こして解決するという意味ではなく、
あくまで、
自分の心の中で決着をつけていかねばならない。
僕の場合、終活にはちょっと早いかもしれないが、
真の終活とは、資産を整理することでも、
断捨離をすることでも、お墓を建てることでもなく、
赦していない、または、赦されていない兄弟を通して、
自分自身の心に決着をつけることなのだ。