ますます、他者との間に差がなくなってきている。
スピリチュアルではよく、わたしとあなたは同じ、とか、
みんなひとつ、とか、分離はない、と言ったりするが、
そんなステレオタイプの理解ではなく、
まさにその中を生きはじめている感じだ。
僕の場合の〝差はない〟の見え方を書いてみる。
僕達は毎日、様々な兄弟たちと接する。
その中で、外見的にも、内面的にも、能力的にも、
自分より上だ、と思えるような人もたくさんいる。
以前の自分だったら、相手との間に違いを見て、
自分はこの人より劣っている、とか、自分はだめだ、
といった無価値感や自己嫌悪のなかで、
モヤモヤしたり、落ち込んだりしていた。
しかし今は、
自分より優れている部分を持っている相手は、
それぞれが持つ優れた部分を使って、
自分を全力でサポートしようと現れた〝自分〟だ
というふうに認識されている。
街を歩いている人も含めてみんなが、
自分を助けようとしているように感覚化されるのだ。
どういうことかと言うと、
風邪をひいたら、お医者さんとなって顕われた自分が、
全力で僕の僕の風邪を治そうとしてくれ、
疲れた時は、大好きな歌手となって顕われた自分が、
すばらしい歌を歌って全力で僕を癒そうとしてくれる。
また、すっごいマッチョとなって顕われている自分が、
僕の横で高重量をガシガシ挙げることで、
僕の筋トレのパフォーマンスを上げようとし、
また、ありとあらゆる兄弟たちに扮した僕が、
いざという時に、僕を助けようとしてくれている。
言ってみれば、ドラマのクレジットで、
主人公康太 田沼徹也 星谷周作
母 さおり 星谷周作
康太の上司 田中直純 星谷周作
康太の恋人 のりこ 星谷周作
キャスト全員が星谷周作、みたいな…。(爆)
自分の中にある優れた側面が他者に反映され、
その時々で現れた、自分扮する兄弟たちが、
全力で自分を助けようとしているように見えるので、
比較や競争や嫉妬の生まれようがないのだ。
ただこれを、
兄弟を愛で見ようとか、感謝を放つ、というふうに、
学んだ知識で実践しよう、とするとうまくいかない。
自分の化身が他者なので、何を差し置いても、
愛を叫ぶのは先ず自分に対してである。
自分を嫌いなままで、他者を愛せるわけがないし、
自分を救えないのに、兄弟を救えるはずがない。
自分の中を、大好きー!愛してるー!で震わせるのだ。
そうすることで、
自分の化身である兄弟は勝手に愛の存在となる。
それが僕にとっての、わたしとあなたは同じ、であり、
みんなひとつ、であり、分離はない、ということである。
そして、その自分が何者であったかを智るとき、
自分となって顕われている兄弟たちが、
愛であり、悦びであり、聖霊そのもの、神そのもの
であることを智るのだ。