👆2019年ごろに撮影した香港SOHO地区
スタントンズバーの前で
また、この賑わいは取り戻せるのか?
前回、過去なんか要らない、という記事を書いたが、
それは、過去の恐れをベースに未来を決めない、
ということであり、
決して、過去などどうでもいい、という意味ではない。
僕たちは、人生の中でしょっちゅう、
しくったぁーっ、やってしもたぁーっ、何であんなことを、
と、過去に自分が取った行動を後悔することがある。
あの時、ああしとけば、こんなことにはならなかった、
ちょっと考えればわかるのに、なぜあんなことを…、
俺って、本当に、バカ、バカ、バカ、みたいな…。
それは人生を変えるような大きな決断だけではなく、
あと五分早く家を出ていれば、とか、
あのとき、あれを買っておけば、とか、
あそこであの一言さえ言わなかったら、というような、
日常での些細な過去に対する後悔も多々含まれる。
👆ケインロードにあるクラブ(2019年撮影)
当時は土曜深夜にだけ開店するこのクラブに
毎週通い続けていたが、いまはもう、ない
僕もそうだった。
2005年、駐在していた会社から帰任を命じられ、
もっと香港にいたい、と会社を辞めた時、または、
2021年、駐在していた香港支社の閉鎖が決定し、
もう少し香港に居たいと現地で転職を決意した時、
そして、日本への帰国を決めた時、などなど、
過去の経験から外れた選択をした自分に対して、
ものすごい不安と後悔と責める気持ちに苛まれた。
しかし、思うのだ。
どんなに安易に思われるような決定であっても、
その時その瞬間の自分が、こうすることがベストだ、
と、全力で考え、悩み、下した決断なのだ。
それがうまくいかなかったからと言って、
失敗した、俺ってだめだ、と後悔することは、
その決定をした過去の自分を否定することになる。
今、どんな結果であれ、その当時の自分が、
一生懸命考え、下した結論である。
何にも間違ってなんかいない。
そうでなければ、過去の自分が可哀そうではないか。
うわっ、これちょっとしくじってしまったかも、と思う時、
「あの時の俺が全力で考えて決めて行動したことだ。
間違っていようが何であろうが、大丈夫!
どうなっても今の俺が全部受け止めてやる!」
と、決然と過去の自分を肯定してやる。
それが、自分責めを止める、を〝生きる〟ことになる。
また、過去の自分が下した決断を、今の自分が、
真正面から、ドーンと受け止めてやることによって、
あの決断のお蔭で、思いもよらない展開になった、
というふうに、決断の正しさが証明される結果となる。
そう、
過去を肯定することで、過去をもう一度選び変え、
そうすることよって、未来が癒される。