香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

清水の舞台から飛び降りろ!

👆 深夜、パジャマ姿でゴミを出しに

   エレベーターに乗ったらぞろ目でた。

   僕の場合、1か2のぞろ目がほとんどだ。

        わざわざスマホを取りに戻って、パシャリ!

 

 

今のトレーナーについて筋トレを始めて2カ月になる。

 

当初は高重量を挙げるために糖質を多くとっていたが

 

今週から、糖質抜きの食事を始めることになった。

 

というのも、

 

トレーナーが5月のボディビル大会に出場するため、

 

体を絞り込むというので、僕も真似することにした。

 

糖質の中でも、白米には依存性があるので、

 

ご飯を断つと禁断症状が現われ、とりわけつらい。

 

それでも、二週間ほど続けていると体が軽くなり、

 

正気に戻ったような爽快感が感じられる。

 

香港-台湾へ行く4月中旬まで続け、ナイスバディで、

 

香港の友人たちに会う予定である。(👈何のため?)

 

 

話は全然変わって、現実は本当に消えてゆく夢だ、と

 

本当に感じながら、その自覚の中を生きている。

 

これも夢だしね、というような言い聞かせでもなければ

 

これは夢なんだあ、と夢に気づいている状態でもない。

 

ああもうこれ終わってる、と〝引き〟で見ている感じ。

 

見え方としては、寝ている時に見る夢の中で、

 

起きがけなどに、まだ夢は見ているのだけれど、

 

うっすら部屋の様子も分かっている感じに似ている。

 

どんな時も、もうひとつの世界の存在を知覚していて、

 

自分はいま夢を見ていて、この人達も、この風景も、

 

全部妄映でしかなく、何の実体もないんだ、と、

 

100%理解した上で〝そのように〟生活している。

 

 

この世界は幻想で、自分は毎日分離の夢を見ている、

 

という事実は、このブログの読者の方には自明の理、

 

というか、もう分かりきっていること、なのだろうが、

 

それでも、日常を本当に夢だとして扱いながら、

 

24時間〝生きている〟人は少ないと思うのだ。

 

僕も〝この宇宙は夢なんだ体験〟は何度もしているが、

 

夢から覚めた感覚で生活している感じではなかった。

 

 

それで、何がきっかけでそうなったのかを考えてみると

 

僕の場合は、じっとして動かない時間、というか、

 

100%本来の自分として過ごす時間が、

 

一定期間(ここ大事!)持てたことが大きかったと思う。

 

自分は夢を見ている、と知ってはいながらも、

 

あたふたちょちょ舞いながら生活していると、

 

日常(夢)の中に意識が埋没していってしまうからだ。

 

 

👇 フランシスの取った行動の真意が今なら解かる

   よい子はけっして真似してはいけないけれど…

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僕の場合、仕事を辞めて日本へ帰国し、

 

何にも属さず、何者でもない、時期を過ごせたことで、

 

あらゆる物事を俯瞰で見れるようになった。

 

そういう意味で、僕はまんまと兄貴に導かれてしまった。

 

一瞬立ち止まって何もしない、というのは、

 

ある意味、現実世界が本当にある、という前提で、

 

無意識にやっている全ての行為を一旦止めることなのだ。

 

そして、夢を夢だと本当に知覚して生き始めると、

 

不思議なことが、次々にたくさん起こり始める。

 

ひょんなところからお金が入ったり、

 

こんな人に出会いたいなと思うと、ひゅっと現れたり、

 

こういうのがあれば便利だな、と思ったら出てきたり、

 

本当に不思議…。

 

こんなことが起こってほしい、と必死で生きていた頃は

 

絶対に手に入れられなかったものが、これ、夢だし、

 

起こっても起こらなくてもどっちでもいいや、となったら

 

ガンガン実現するのだから、皮肉と言えば皮肉である。

 

 

ただ、誤解を避けるために言明しておくとすれば、

 

じゃあ、これ全部夢なんだ、として生きればいいんだね、

 

ではない。

 

この世界は真実ではない、とはわかっているんだけど、

 

それでも怖いからやっていることを、

 

すべて止めることが必然となってくる。

 

そこに、夢(檻)からの脱出口がある。

 

また、この世界が本当になかった、を生き始めると、

 

虚無的になるのでは、という人がいるが、逆である。

 

本当に〝ある〟世界がむき出しになってくるからか、

 

人や物や出来事が、とてつもなく優しくなる。

 

 

本を読んだり、マスターの話を聞いて、ああそうだ、

 

と納得して終わる時代は過ぎ、もう、本気の本気で、

 

清水の舞台から飛び降りる時が来ている。