👆 クラスの仲間と学校近くでランチ
本町にある豆腐料理専門店
実際には、見えるはずのない兄貴が、
人の格好をして現われるようになってからというもの、
豊かさや、その象徴としてのお金、といった、
目には見えないエネルギー的なものをも、
人のように扱うようになってしまった。
例えば、僕には〝マニーちゃん〟(別名:お金ちゃん)
という無限の豊かさを与えてくれる彼女がいて、
僕はその彼女からあらゆる豊かさを受け取っている。
定食屋さんの美味しいごはん、快適な住居、
着心地の良い衣服、お気に入りのワイン、または、
僕が花粉症になったら治してくれるお医者さんや、
僕の身体の管理をしてくれているトレーナーさんや、
僕にマッサージをしてくれるマッサージ師さん、
といった僕を助けるためにサービスしてくれる人たち、
そして、それらの豊かさを得るために必要なお金を、
このマニーちゃんが手配してくれている、と感じるのだ。
👆 税込980円なり。豊かすぎるーっ!
しかし、
僕達はいつもマニーちゃんに文句ばかり言っている。
「こんな安月給ではやってられない。何とかしろよ!」
「こんなんじゃ全然足りないんだよ。もっとくれなきゃ」
「何かあったらどうするんだ?これじゃ安心できないよ」
「この値段でこの味だったら、まあまあだな。フツー!」
もし、自分がマニーちゃんだったら、どうだろうか。
一生懸命、今与えられる豊かさを差し出しているのに
ありがとうの一言もなく、ダメ出しばかりされたら、
傷ついて、とても悲しい気持ちにならないだろうか。
👆 土曜のお昼。ほぼ満員
10円には10円の、豊かさがあると思うのだ。
別段、何をしなくても、春になると、
土手にタンポポは生えてくる。
これって、ものすごく豊かなことだと思うのである。
今ここにフツーにある豊かさ
文句を言いまくって、責めまくって、
豊かさを拒んでいるのは、結局自分だったのだ。
というのも、昨日,
イオンで豚肉野菜炒めのパックを買い、
今日、それを炒めようと冷蔵庫から取り出した瞬間、
マニーちゃんの愛を感じて涙が出そうになった。
このパックを作るには、豚を育て、野菜を育て、
それを運んで加工し、パック詰めしなければならない。
これを全部自分でやれと言われても絶対に無理である。
それを僕は328円で買って食べられるのだ。
これをマニーちゃんがやってくれていると思えば、
自然と〝ありがとう〟〝大好きーっ〟が溢れてくる。
よく、
豊かさが擬人化された恵比寿さんなどにお参りし、
商売繁盛を願ったりするが、本当は願うのではなく、
今在る豊かさに感謝するためにお参りに行くべき
なのではないだろうか。
👆 これを見て泣けるなんて、すごくない?
なんか、ここまでくるともう、たとえ嫌な目に遭っても、
それもまた豊かに感じられる、どヘンタイな僕である。