👆セブンのさくら餅にハマっている
これがたったの148円だなんて…。
香港で買ったら一個800円くらいする
職場、家庭、夫婦、親戚、ビジネス、ご近所、SNS…
自ら作った檻が、夢の現実に象徴として顕われている。
そして、夢の各シーンで〝微妙に耐えられる程度〟の
嫌いな同僚、パワハラ上司、反抗的な子供、浮気夫、
うるさいお客やお隣りさん、を作り出す。
この〝微妙に耐えられる程度の〟というのがミソで、
我慢しようと思えばできる程度だからこそ、
自分の力で何とかなりそうな気がして、
あれこれ口実を設けては、檻の中に留まり続ける。
が、微妙に耐えられる程度の苦しみもまた、延々続く。
しかし、兄貴にいくら、祈っても、委ねても、任せても、
兄貴は決して自分を檻の中から連れ出してはくれない。
自ら望んで檻の中へ入ったので、出る時もまた、
自らの〝意志と行動〟によって出なければならない。
檻の中に留まる為に、僕達は本当に巧妙な嘘をつく。
自分にはまだこの場所でやらねばならない事がある、
(本当は、ここは地獄だ、と思っているのに…)
本当は同僚たちも愛なんです、私の家族も神の子です、
(本音は、みんな死ねばいい、と思っているのに…)
まだ、必要とされているし、あの人もいい所があるし、
と、本音を隠しながらも、解釈を変えることによって、
職場や家庭を居心地のよいものにしようとする。
その手段として、様々なスピの学びを利用する。
ここは地獄だ、みな殺しだ、といった隠れた憎悪を、
ちゃんと見つめ、何でそう思うのか、に向き合う。
それは、居るべき場所にいない、居るべき人といない
ことを選択し続ける自分に対する怒りかもしれない。
香港の家に突如兄貴が出現し、言われたことは、
一刻も早く会社勤めを辞め、日本へ帰国しろ、だった。
自我の自分からしたらとんでもないことである。
当時の僕には、死ね、と言われているに等しかった。
しかし、最終的に、僕は兄貴に従った。
この生殺しのような夢の一生にはうんざりだった。
それでいま、檻から出てみて解ったことがある。
今、もし、居るべき場所で、居るべき人といるならば、
そこが物理的にどんなにひどい場所であっても、
その人がどんな人であっても、どんな問題があっても、
常に、大好きーっ、の想いが満ち溢れているはずだ。
もしそうでないなら、居場所を間違っている。
聖霊兄貴と共に進むようになると、
僕が会社員としてのキャリアと香港を手放したように、
フランシスが全財産を手放したように、
あなたにはあなたバージョンの、
さあ、さあ、さあ、どうする、どうする、がやってくる。
そのとき、どれだけ自分が、
神を他人事にしてきたかを思い知ることになる。