👆 実家に咲いていた椿
スピ兄弟であれば、聖霊や、ハイヤーセルフや、
アサンデットマスターや、宇宙人や、天使など、
高次元生命体(?)からメッセージを受け取ることで、
気づきや目覚めを加速させる兄弟も多いと思う。
こういう、目に見えない何かからのメッセージを、
ある人は、直感として受け取り、ある人は夢で受け取り、
ある人は瞑想や座禅を通して受け取り、またある人は、
直接声を聞いたり、霊的体験として受け取ったりする。
僕の場合は、兄貴と対面でやり取りをするのだが、
そのやり取りの中で、
「あの時、南森町に部屋を借りさせるために、
僕が不動産屋の担当者に扮して部屋の案内をした」
「昨日ジムで、客に扮した僕が、
マシーンの上でずっとスマホをして、
君にマシーンを使わさないようにしてたお蔭で、
君は肩を傷めずに済んだんだ」
「君が面接を受けた会社の面接官となって、
君を不採用にしたのは僕だ」
という〝兄貴の成りすましパターン〟が頻繁に出てくる。
何が言いたいのかと言うと、例えば、自分勝手な部下
嫌な上司、反抗的な子供、ムカつく旦那(または妻)、
要介護の親、一言多い姑、態度の悪い店員、など、
赦すべき兄弟、だと思っている相手の言動も、実は、
兄貴がやっている可能性がある、ということである。
夢の現実の裏で働いているこの采配に気づくことで、
ありのままの現実を、愛として全許容できたりする。
僕はずっとビジネスマンだったので、
どうしても会社ネタばかりで申し訳ないが、例えば、
部下に仕事を頼んで、逆切れされて反発された場合、
また、同僚との関係が悪くなって孤立したりした場合、
それって、同僚や部下に扮した兄貴が、
何かの意図を以って導いているのかもしれない。
それは、ここはもう君が居る場所ではないよ、
ということかもしれないし、愛か恐れかの選択の中で、
厳しくても愛の一言をきちんと相手に返しなさい、
という、行動を促すメッセージなのかもしれない。
もちろん、出てくる恐怖や不安や罪悪感を見つめ、
赦してゆくことはとても大切だが、その赦しが、
愛に昇華される時には〝行動〟が必要だと思うのだ。
なのに、自分が変わる為の何かは自然に起こるので、
自分は何もする必要がない、と言いながら、
「兄貴、わたしを導いてください」とやっていたりする。
しかし、兄貴に言わせれば「もうやってるじゃん」である。
檻から出すために、
きつい部下や同僚に扮して導いてるじゃん、
という話である。
なので、目の前で〝やんちゃ〟しているその誰かは、
本当はものすごい〝愛の顕われ〟なのかもしれない。
また逆に、自分が誰かを攻撃したように思えた時も、
やはり、その言動が、お前はここで、
こんなことをしているようなやつじゃない、出てけ、
と、兄弟に対する愛の振る舞いになっていたりする。