👆 彼が店主。最初はおばちゃんかと思った
父の形見である腕時計のベルトが切れてしまった。
チェーン店みたいな所には修理を頼みたくなかった。
南森町には昔気質の親方がやっている店が多いので
きっと頼れる兄貴が助けてくれるはず、と色々探すが、
どこも、メーカーに依頼して修理する所ばかりで、
直接修理してもらえる時計屋が見つからなかった。
僕が思い描くのは、親方がルーペを目に嵌め、
その店で修理してくれるような昭和な時計屋なのだが
今時、そんな店はどこにもなく、考えてみれば、
今はスマホがあるので、腕時計をする人は少ないし、
若い人は、時計の修理工になろうなんてまず思わない。
しかしここは、自分が創造して見ている夢の中なので、
そのうちなるようになるだろう、と、放っておいた。
すると、笑ってしまうくらいドンピシャな店が現われた。
錆びれた商店街の中にある、藤井時計店。
半分シャッターが閉まっていて、中には誰もいない。
すみません、と声をかけて、はーい、と声があってから、
5分ほどして、奥から85歳くらいの店主が出てきた。
もう完全に商売を放棄している感じだ。(笑)
店にあるモノを勝手に持っていかれても、
多分分からないだろう、と思われ…。
「この時計、セイコーやけど日本のモノではないな」
店主は一目で外国で購入したものだと言い当てた。
父の形見で、僕の腕にはちょっとキツすぎたので、
ベルトが切れたんだと思います、と言ったら、店主は、
「ほんなら、つなぎの部分に幅を持たせといたろ」
と言って早速作業に取りかかった。
こっちはてっきり修理に数日かかると思っていたので、
すぐに修理してもらえると知って感動してしまった。
修理してもらっている間、店内を見て回るボク。
店内は雑然としていて、
もはや何を売っているのかもよくわからない。
それでもレトロな陳列物には温もりを感じた。
店内に佇みながら、店主と会話をする。
今はもう時計の販売は行わず、
時たま訪れる客に時計の修理をしているのだという。
「今はメーカーの修理センターで一括修理するさかい、
こんな町の時計屋は必要なくなってるんや」
と店主は言った。
修理は20分ほどで終わった。
腕にはめると、以前のようなキツさが無い。
お金を払い、店を出ると、店主も一緒に出てきて、
あそこの店は昔こうだった、で、今はこうなっている、
みたいな、商店街の歴史をいろいろ説明してくれた。
なんか、昭和にタイムスリップしてしまったような午後。
今この瞬間の〝消えゆくせつなさ〟を感じながらも、
とても豊かで平安な春のひとときを過ごせた。
👆大阪のど真ん中にこんなレトロな場所があるなんて
本当は僕が一瞬、別パラレルへと迷い込んだだけで
実際には、店主も商店街も存在しないのかも…
ちょっと前までは、香港に比べ日本は…、
みたいなことをつらつらと書いていたが、
なんだか、日本もいい感じ、である。