👆 コン親方と…
仕事の時以外は、いつも半分寝ている
今日はコン親方の所へ2度目のマッサージに行った。
彼の指圧には、中国三千年の歴史が詰まっている。
細胞の中に〝氣〟を入れるように揉まれるので、
波動が浸透していくようで、チョー気持ちいいのだ。
指でぐりぐりやられている部分に意識を集中させると、
ヴィパッサナー瞑想をしているような境地に入る。
なんていうか、細胞の奥にこびりついた負の想いが、
ひとつひとつ解体されてゆく感じ。
とはいえ、コン親方もすでに79歳になるので、
いつまでこのマッサージを受けられるかわからない。
だからもう、ここぞとばかりに、
全力で自分の肉体(宇宙)を感じることに集中した。
👆 日本にも〝修脚〟(足の裏の角質取り)
があったらなあ
そうこうしているうち、あるイメージが舞い降りた。
この肉体は、完璧な無限の全体が反映されたもので
肉体は宇宙そのものである、と…。
そして他者とは、その肉体の細胞一つ一つが
外側へと無数に投影された姿であり、
どんなにイビツで不完全に見える他者の肉体も、
かけがえのない完璧な宇宙のピースであり、
ひとつ欠けても成り立たない。
故に、目の前に現われる全ての他者は、
自分の肉体(宇宙)の一部であり、全体なのだ。
そして、肉体は〝無限の全体〟と同じものだった。
無数のピース(細胞)によって全体を成している。
なので、コン親方の指圧は、ある意味、
無限の全体を認識(智覚)してゆく作業であり、
ゼロポイントへ意識を戻す作業なのだと言える。
多分、ヴィパッサナー瞑想も同じ原理なのだと思う。
こうして、
今に開いて抵抗せずそのままの流れを許容していると
自分は存在しているだけで完璧だったんだと分かる。
すごい仕事をしなくても、結果を出さなくても、
存在するだけですでに愛であり、神だったのだ、と…。
そして、他者もまた、そのままで〝神〟だった。
逆に言えば、神を思い出すために他者を見ている。
心の中に恐怖があると、じっとしていることができない。
行きたくない場所へ行って、したくないことをしたり、
万が一に備えて、様々なものを購入したり…。
行動することで、自己の存在を忘れようとする。
それは結局、神を忘れようとしているのだ。
存在することだけに委ねていると、
何かに導かれるように、別の行動が生まれてくる。
今後は、何かに〝なる〟のではなく、
〝在る〟ことで自分を表現してゆこうと思う。
今回の旅は、
その準備のための旅だったような気がする。
コン親方、ありがとう!