今年もボディビル大会のシーズンがやってきた。
(と言っても、へなちょこボディの僕には関係ないが…)
僕が筋トレをしているゴールドジム大阪梅田店では、
ビルパン(試合の時に穿く、あのキレッキレパンツ)
が売り出され、ポージング講習の受付も始まった。
それに伴い、ビルダー(女性ビルダー含む)たちの
トレーニングも熱を帯び、減量も佳境を迎えている。
今、彼らの目の前でペヤングでも食おうものなら、
絶対、殴りかかってくると思う。
👆 このキメ顔、恥ずかしすぎるっ!
というわけで、そんな彼らに触発され、
僕もまた、先週から、糖質抜きの減量を始めている。
といっても、大会に出るためではない。(知ってる…)
先月の九州旅行で爆食いし過ぎたのと、
ここ1カ月、授業準備が忙し過ぎて全くジムへ行けず、
ストレスも相まって5kgも太ってしまったのが理由だ。
まあこれが、コナミやチョコザップ辺りのジムにいたら、
何とも思っていなかったのかもしれないが、
1か月ぶりにゴールドジムに行き、
バリバリにバルクアップした人達の横でトレをすると、
嫌が上にも自分の〝ぶちゃり具合〟を実感させらる。
また、久々に会ったトレーナーが、開口一番に発した、
「うわ、太りましたねえ!」の一言もショックだった。
場所は人を作る、というが、
人は、どんな場所(環境)に身を置くかによって、
モチベーションが変わってくることも確かである。
例えば、若い女性がいたとして、職場が虎ノ門だと、
服装やメイクに気合を入れて出勤するが、これが、
50代のオッサンしかいないド田舎の職場だと、
何でもいいや、とおしゃれとかしなくなってゆく、
みたいな…。
また逆の発想で、自分のモチベーションを保つことで、
それに見合ったご縁ができ、人生が変わったりする。
そして、モチベーションの裏側に流れているものは、
楽しい、サイコー、好きっ、といった想いだ。
ジムで体を鍛えるのも、おしゃれをするのも、
仕事で成功するのも、好きな人とエッチをするのも、
それをすることで、自分の中に常に流れている、
〝愛している感じ〟に気づくことができるからだ。
もっと言えば、食べる、音楽を聴く、仕事をする、
日常の全ての事は神の愛に気づくためにしている。
もっともっと言えば、外側の何かを動機として、
〝神〟の感覚を〝感じ〟続けているうちに、
やがては、その〝愛される感じ〟は常にここに在り、
自分はそのために何もしなくてもよいことを智る。
そして、この何もしなくてよい、という感覚は、
神と呟いただけで無上の法悦が溢れてくるような、
最終的な〝神の体験〟からやってくる。
体験が先で、
その後に、何もしなくていいことを〝智る〟。
なぜなら、体験があって初めて、
好きなものと、好きでないものは同じものだ、
ということが明らかになるからだ。