香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

あの兄貴に会いたい【ヴィクトール・フランクル】-2

 

 

フランクルは、自身の死生観を表現するために、

 

人の人生を砂時計に例えた。

 

砂時計の上の部分には、これからの未来があり、

 

そこには中心の狭い部分をすり抜けて、

 

下へ落ちるための砂が入っている。

 

砂時計の下の部分には、すでに流れ落ちた砂、

 

すなわち過去がある。

 

そして、中心のくびれた部分が〝今〟に当たり、

 

僕たちは常に、今という、このくびれた部分にいる。

 

僕たちは、ひとつひとつの砂粒を、

 

今というくびれを通して、過去へと流していっている。

 

そして、フランクルは、どのように砂粒を落とすかが、

 

その人の人生における決断を意味していると考えた。

 

 

 

 

フランクルは、

 

収容所のような、自由とは程遠い場所においても、

 

今この瞬間、何かを決断する自由がある、と言った。

 

誰も覚えていないような小さな小さなことでも、

 

今この瞬間をどう生きたかが、下側の砂粒として、

 

永遠に残るんだ、という考え方を示したのだ。

 

そして、今この瞬間瞬間をどう生きるかで、

 

落ちてゆく砂の質が違ってくる、というのだ。

 

なので、今見えるもの、今聞こえるもの、に対して、

 

どういった意味を持たせるかは自分にかかっている。

 

 

 

 

残りの砂が少なくなってきたとき、僕たちはたいてい、

 

空虚な思いにとらわれたり、不安に襲われたりする。

 

生きている人には、未来と過去があるが、

 

死んだ人には、過去だけがあり、それを恐れている。

 

フランクルは言う。

 

人は一瞬一瞬の行動により、

 

絶えず自分自身を作り続けている。

 

つまり、生きている間は、

 

その人の人間像は決して定まることはない。

 

そして、死んだときに初めて、全てが定まる。

 

人間は死ぬことで初めて世界に生み出され、そして、

 

自分自身は死ぬ瞬間に初めて出来上がるのだと…。

 

 

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ここからは、僕のただの妄想なのだが、

 

こうして全ての砂が落ち切った砂時計が、

 

今度はくるりとひっくり返って、新たな人生が始まる。

 

人は今世で最も憎んた者に生まれ変わるという。

 

そういう意味で、今の自分は前世で憎んだ自分だ。

 

だからこそ、他者に与えることで、自分を赦すのだ。

 

そうすることで、何度も違う人生を繰り返すうち、

 

砂は昇華されて少なくなってゆき、

 

最後は、この砂時計の輪廻から抜け出し、

 

永遠に夢の境から故郷へと帰ってゆくのだろう。