前回の《褒めますおじさん》の続きだが、
日ごろ褒められたことがない多くの若い人たちが、
お金を払ってでも褒められたい、と、
褒めますおじさんの所へやってくる理由は、単純に、
褒める側の人数が圧倒的に少ない、からだ。
そして、過去にたくさん褒められたことがある人こそ、
何気なく、そして素直に人を褒めることができる。
そう、人を褒めるにも、経験が必要なのだ。
まあ、過去にたくさん褒められた経験、と言われて、
一番ベタに思いつくのはやはり、
親から褒められることだろう。
このブログの読者の方ならお察しだと思うが、
僕はどちらかと言うと、
自分大好き、自己肯定感高め、な人間である。
それで、何でそうなのかを自分なりに考えてみたところ
そこには常に僕を褒めてくれた父親の存在があった。
「うちの子は二人とも(僕と妹)、ホンマにええ子や!」
もう、見てるだけで涙が出るくらいええ子やわあ!」
と、父は酒を飲みながら本当に泣くのだ。
「一人で外国で仕事して偉いなあ!大したもんや!」
「お前みたいな男前やったら、人生バラ色やなあ!」
と、僕が日本へ一時帰国するたび父は褒めてくれた。
まあ、褒める内容の真偽のほどはともかく(笑)、
父はいつもニコニコしていて、QPマヨネーズの
キューピーちゃんみたいにかわいらしかったので、
遊びに来た妹の同級生たちからも人気があった。
また、うちは共働きだったため、小さい頃の僕は、
昼間、母方の祖母に預けられていた。
そのころ、生長の家の信者だった祖母は毎日、
「周作神の子仏の子!いっつも幸せ光の子!」
と唱えながら、僕の身体を優しくさすりまくっていた。
今思えば、これらの、無意識に褒められた経験から、
人から否定されても「俺ってやっぱりダメなんだあ…」
みたいにはならなかったのかな、と思っている。
だが、大人になると、褒められる経験は少なくなる。
じゃあ、どうすればいいのかと言うと、先に褒める。
こちらから先に相手を褒めるから褒められるのだ。
例えば、道で近所のおばちゃんに会った時、、
「おばちゃん、20年前と全然変わらへんなあ」
とこっちから先に言うから、
「いやあ、お兄ちゃんもいつもシュッとしてカッコええで」
と言ってもらえるのだ。(👈知らんけど…)
上司と部下、親と子、友人関係、など、今の日本は、
どう他者とのコミュニケーションを取ればよいのか、
悩む人が多いようだが、そんなときこそ、
相手のちょっとした外見や、仕草や、行為などを、
大げさにではなく、何気ない一言で褒めてみるのも、
人間関係をよくするひとつの手、かもしれない。
なぜなら、人を褒めることが、結局のところ、
自分を褒めていることになるからだ。