香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

褒める門には福来たる

 

 

前回の《褒めますおじさん》の続きだが、

 

日ごろ褒められたことがない多くの若い人たちが、

 

お金を払ってでも褒められたい、と、

 

褒めますおじさんの所へやってくる理由は、単純に、

 

褒める側の人数が圧倒的に少ない、からだ。

 

そして、過去にたくさん褒められたことがある人こそ、

 

何気なく、そして素直に人を褒めることができる。

 

そう、人を褒めるにも、経験が必要なのだ。

 

 

まあ、過去にたくさん褒められた経験、と言われて、

 

一番ベタに思いつくのはやはり、

 

親から褒められることだろう。

 

このブログの読者の方ならお察しだと思うが、

 

僕はどちらかと言うと、

 

自分大好き、自己肯定感高め、な人間である。

 

それで、何でそうなのかを自分なりに考えてみたところ

 

そこには常に僕を褒めてくれた父親の存在があった。

 

 

 

 

「うちの子は二人とも(僕と妹)、ホンマにええ子や!」

 

 もう、見てるだけで涙が出るくらいええ子やわあ!」

 

と、父は酒を飲みながら本当に泣くのだ。

 

「一人で外国で仕事して偉いなあ!大したもんや!」

 

「お前みたいな男前やったら、人生バラ色やなあ!」

 

と、僕が日本へ一時帰国するたび父は褒めてくれた。

 

まあ、褒める内容の真偽のほどはともかく(笑)、

 

父はいつもニコニコしていて、QPマヨネーズの

 

キューピーちゃんみたいにかわいらしかったので、

 

遊びに来た妹の同級生たちからも人気があった。

 

また、うちは共働きだったため、小さい頃の僕は、

 

昼間、母方の祖母に預けられていた。

 

そのころ、生長の家の信者だった祖母は毎日、

 

「周作神の子仏の子!いっつも幸せ光の子!」

 

と唱えながら、僕の身体を優しくさすりまくっていた。

 

今思えば、これらの、無意識に褒められた経験から、

 

人から否定されても「俺ってやっぱりダメなんだあ…」

 

みたいにはならなかったのかな、と思っている。

 

 

だが、大人になると、褒められる経験は少なくなる。

 

じゃあ、どうすればいいのかと言うと、先に褒める。

 

こちらから先に相手を褒めるから褒められるのだ。

 

例えば、道で近所のおばちゃんに会った時、、

 

「おばちゃん、20年前と全然変わらへんなあ」

 

とこっちから先に言うから、

 

「いやあ、お兄ちゃんもいつもシュッとしてカッコええで」

 

と言ってもらえるのだ。(👈知らんけど…)

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

上司と部下、親と子、友人関係、など、今の日本は、

 

どう他者とのコミュニケーションを取ればよいのか、

 

悩む人が多いようだが、そんなときこそ、

 

相手のちょっとした外見や、仕草や、行為などを、

 

大げさにではなく、何気ない一言で褒めてみるのも、

 

人間関係をよくするひとつの手、かもしれない。

 

なぜなら、人を褒めることが、結局のところ、

 

自分を褒めていることになるからだ。