香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

何もできない

 

 

もう、あらゆる人が兄貴に見える。

 

いや、見える、のではなく、兄貴そのものだ。

 

もっと言えば、兄貴そのものが自分だと理解している。

 

さらに言えば、兄貴そのもので〝しかない〟。

 

さらにさらに言えば、名付けられる何か、も無い。

 

 

自分、他人、木や花や建物、全てに実体はなく、

 

この世界は寝ている時に見る夢と同じで幻想だ、

 

と解かって、実相が確かになるのではなく、

 

名付けられる何かさえない、ことを真に悟って初めて、

 

世界が夢で本当に無かったことが明らかになるのだ。

 

 

よく、兄貴のガイダンスに従う、兄貴に聞く、

 

兄貴に祈る、兄貴に委ねる、兄貴と一緒に見る、など、

 

奇跡講座の学習会やコース兄弟の間で、

 

様々な実践が行われているが、兄貴に聞いたり、

 

祈ったり、委ねたりした結果、こうした方がいいよ、と、

 

何かの導きが来たというなら、それは兄貴ではない。

 

自分で、ただ、思いついただけだ。(笑)(爆)

 

そうではなく、目の前に見えているその同僚、

 

その友人、その家族、その店員、そのおっさん、

 

電車で乗り合わせたその誰かが言っていること、

 

やっていることが兄貴のメッセージである。

 

しかし、こう書くと、兄弟の言動を見て、

 

これはどういうメッセージなのだろう、と探ってしまうが

 

そうではなく、見えてるまんま、聞こえているまんま、

 

それですでに兄貴そのものなので、

 

それ以上何も勘ぐる必要がないし、する必要もない。

 

何かすることがあるとすれば、今この瞬間に在って、

 

ただ、見ていることくらいか。

 

 

で、こう書くとまた、本来、言葉や行動で、

 

ちゃんとアクションを起こさねばならないことでも、

 

自分は何もする必要はない、と放っておいたりする。

 

恐怖から何もできない自分の方便にしてしまうのだ。

 

僕たちは、目で見えたり、耳で聞こえたりした、

 

他者の言動や外界の出来事に反応して、

 

〝私〟が何かを思っている、と勘違いしているので、

 

起こったことからくる兄貴のメッセージに対しても、

 

じゃあ〝私〟はどうするべきか、とやってしまう。

 

 

 

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いや〝私〟は何も思えていない。

 

自然にふっと出てきた思いを捉えて、

 

私が思った、と勘違いしているに過ぎない。

 

勝手に出てくる思いが、自分で思ったのでないのなら、

 

自分なんてどこにもいないことなんて、すぐにわかる。

 

 

これはきちんと言った方がいい、という思いがあるなら

 

それが兄貴の思いであり、やった方がいい、という

 

思いが出てきたら、それが何もしない、の意味となる。