👆 実家のお隣さんがメダカ?飼ってる
先日の〝テレパシックなお年頃〟の記事の続きだが、
たぶん、悟りを開いた高僧や覚者の人たちも、きっと、
これらの人智を超えたひらめきそのものでいることで、
何もしていないのに、欲しいものが手に入ったり、
偶然が重なって物事がうまくいったりしていると思う。
しかし、そのことを前面に押し出してしまうと、
多くの人が現実をよくするために悟りたい、
となってしまうので、そういう間違いを避けるために、
敢えて、現世ご利益的なことを口にしないのだろう。
ただ、完全に、今のこの様子だけにフォーカスし、
今を信頼して委ね切って受け入れられるようになると、
瞬間瞬間に立ち上がる思いそのものでしかなくなる。
少し前、大阪市内にある温泉へ行こうとしたのだ。
だが、家を出る寸前、急におなかが痛くなったり、
家を出たのはいいが、ケータイを忘れて戻ったりと、
〝今日は行かない方がいいモード〟全開だった。
しかし、どうしても温泉に浸かりたかった僕は、
あらゆる抵抗をはねのけ、地下鉄に飛び乗った。
温泉へ続く道を歩いていた時、突然、
大阪駅行きの市バスが現われ僕の眼前に停まった。
このバスは、僕の家の前にあるバス停に停まる。
バスは扉を開け、速く乗れと促しているように見えた。
だが、僕はそれをも無視して温泉へ向かった。
温泉は閉まっていて、おまけに帰りは大雨になった。
この時僕は理解したのだ。
このメッセージは、導きに従えばうまくいく、とか
導きに従わなかったからこうなるよ、
というものではない。
そもそも、従うべき何か、などないし、
その通りにしても、しなくても、別にどっちでもいいのだ。
メッセージを無視して、大失敗、でもオーケーである。
そうではなくて、これは、
「本当に、今この瞬間の思いそのものしかないだろう」
ということを僕に見せるためのメッセージだったのだ。
ありもしない過去や未来と完全に縁を切り、
今この瞬間出てきている思いに100%信を置くことを
学ばせるためのものだった。
どういうことかと言うと、温泉へ行こう、という思いは、
過去のその時、ふっと出てきた思いの様子である。
だが、次の、今この瞬間には、行かない方がよい、
という思いが出ているにもかかわらず、意識は、
過去の思いを引きずり今この瞬間の思いを無視する。
そのことに気づかせるために、具体的な事象で、
兄貴は僕にメッセージをよこしたのだ。
この理解が起こってから、
信じる、とか、こうすればうまくいくんですね、ではなく
本当にそうでしかない、ことがはっきりした。
そして、今回でこの夢の世界を永遠に後にする。
というか、
はなからここにはいなかったことが明白になっている。