👆 いつも豆を買ってるコーヒー屋さん
夫婦だけで50年もやってきた店
ええーっ!なんでぇー!マジかぁー!というような、
嫌なことや、不運なことや、不幸なこと、というのは、
予想もしなかった時に突然、ふっ、とやってくるものだ。
逆に、予測できた不幸は、そんなに大したことがない。
まあ、当たり前と言えば、当たり前なのだが、
例えば、
先月、台風の情報と南海トラフ地震の噂さが重なり、
多くの人が米を買い漁った結果、店頭から米やご飯が
一斉になくなった時期があったが、結果は、
やってきた台風はショボくて、地震も起こらなかった。
非常食を常備して、あ~安心、な時には何も起こらず、
非常食の賞味期限が切れそうになり、もったいない、と、
食べてしまった後に限って、何かが起こったりする。
「来るぞ!来るぞ!」と意識を集中すればするほど、
それは起きなくなる、という法則があるような感じだ。
というのも、僕は、なぜか幼い頃から、
事前に予測できた悪いことは実際には起こらない、
もしくは、起こったとしても思っていたほどではない、
という信念があって、悪い出来事が頭に浮かんだら、
「ああ、これは予想できたからもう起こらないな」
と、根拠のない安心感を抱いたりしていた。
例えば、明日の会議のための資料を作っていて、
社長からこういうダメ出しをされないようにこうしよう、
常務ならこう言ってくるに違いないからこうしておこう、
と、対処をしたことに関してはスルーされ、逆に、
ええっ、そこ?というような、思いもしなかった点で、
大目玉を食らう、ことが多々あったのだが、
リーマン時代の最後の方になってくるともう、
会議の資料を準備している段階で、
「ああこの部分は気づいたから指摘されないな、でも、
思いもしない箇所をつつかれて自滅するんだろうな」
というところまで達観できるようになり、
腹を決めて、でん、と構えているいると、
それが起こらなかったりするのが分かってきた。
かといって、あらゆる悪いことに意識を向けて、
予測すればいいのか、というと、そうではない。
何かの拍子で不安がふっと湧き起こってくると、
しばらくそのことに意識を向けてから、あ、これ、
思えたから起こらない、だから安心、みたいな感じ。
奇跡講座では、赦しを実践する際、
あると思っていた罪悪感を、一瞬観る、一瞬直視する
ことで、それが起きてすらいなかったことを理解し、
そのうえで兄貴に明け渡すことが可能になるのだが、
意識を向ければ消える、という量子?の法則に則れば、
これは、とても理にかなっているように思う。
要するに、意識を向けたことによって、起こらなくなった、
のではなく、起こっていないことが確認されたことで、
起こったように見えている幻想が削除されたのだ。
〝直視して、ないとわかれば、消えてゆく〟
おお、決まっ…た!