香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ないとわかれば消える

👆 いつも豆を買ってるコーヒー屋さん

    夫婦だけで50年もやってきた店

 

 

ええーっ!なんでぇー!マジかぁー!というような、

 

嫌なことや、不運なことや、不幸なこと、というのは、

 

予想もしなかった時に突然、ふっ、とやってくるものだ。

 

逆に、予測できた不幸は、そんなに大したことがない。

 

まあ、当たり前と言えば、当たり前なのだが、

 

例えば、

 

先月、台風の情報と南海トラフ地震の噂さが重なり、

 

多くの人が米を買い漁った結果、店頭から米やご飯が

 

一斉になくなった時期があったが、結果は、

 

やってきた台風はショボくて、地震も起こらなかった。

 

非常食を常備して、あ~安心、な時には何も起こらず、

 

非常食の賞味期限が切れそうになり、もったいない、と、

 

食べてしまった後に限って、何かが起こったりする。

 

「来るぞ!来るぞ!」と意識を集中すればするほど、

 

それは起きなくなる、という法則があるような感じだ。

 

 

というのも、僕は、なぜか幼い頃から、

 

事前に予測できた悪いことは実際には起こらない、

 

もしくは、起こったとしても思っていたほどではない、

 

という信念があって、悪い出来事が頭に浮かんだら、

 

「ああ、これは予想できたからもう起こらないな」

 

と、根拠のない安心感を抱いたりしていた。

 

例えば、明日の会議のための資料を作っていて、

 

社長からこういうダメ出しをされないようにこうしよう、

 

常務ならこう言ってくるに違いないからこうしておこう、

 

と、対処をしたことに関してはスルーされ、逆に、

 

ええっ、そこ?というような、思いもしなかった点で、

 

大目玉を食らう、ことが多々あったのだが、

 

リーマン時代の最後の方になってくるともう、

 

会議の資料を準備している段階で、

 

「ああこの部分は気づいたから指摘されないな、でも、

 

思いもしない箇所をつつかれて自滅するんだろうな」

 

というところまで達観できるようになり、

 

腹を決めて、でん、と構えているいると、

 

それが起こらなかったりするのが分かってきた。

 

かといって、あらゆる悪いことに意識を向けて、

 

予測すればいいのか、というと、そうではない。

 

何かの拍子で不安がふっと湧き起こってくると、

 

しばらくそのことに意識を向けてから、あ、これ、

 

思えたから起こらない、だから安心、みたいな感じ。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

奇跡講座では、赦しを実践する際、

 

あると思っていた罪悪感を、一瞬観る、一瞬直視する

 

ことで、それが起きてすらいなかったことを理解し、

 

そのうえで兄貴に明け渡すことが可能になるのだが、

 

意識を向ければ消える、という量子?の法則に則れば、

 

これは、とても理にかなっているように思う。

 

要するに、意識を向けたことによって、起こらなくなった、

 

のではなく、起こっていないことが確認されたことで、

 

起こったように見えている幻想が削除されたのだ。

 

 

〝直視して、ないとわかれば、消えてゆく〟

 

おお、決まっ…た!