その人が誰で、どんな人であるか、
その人、本人のイメージを形作っている
大きな要因のひとつに〝職業〟がある。
特に日本では、どんな職業に就いているかが、
その人を判断する、大きな材料になっていたりする。
例えば、
公務員なら、真面目で常識的、くいっぱぐれがない、
医者なら、お金持ち、頭がいい、頼れる、偉そう、
職人さんなら、頑固、特別なこだわり、忍耐強い、など
この職業の人ならこんな感じ、というイメージがある。
また、その仕事が儲かるか否か、華やかかどうか、
そうそう簡単にはなれないような職業か、によって、
その人を、すごいと思ったり、ショボいと思ったりする。
はては、その仕事をすることで得られるステータスを、
〝自分〟だと思っている人も多く、専業主婦だって、
旦那の職業を自分のステータスにしていたりする。
まあ、生きている限り、お金を稼がねばならない訳で、
人生の大半の時間を金儲けに費やしているのだから、
どんな仕事をしてお金を得ているのか、に、
本人の生き様や人生が反映されるのは当然であり、
よって〝職業=自分〟という考え方は、
あながち間違ってはいないのかもしれない。
👆 顔、怖い!
じゃあ、無職で何もしていない人はどうなるのか、
自分(アイデンティティ)がないのか、という話になる。
あいにく日本では、
仕事をしていない人は胡散臭い、怪しい人、
と、反射的に思う傾向が強い気がする。
僕が香港から日本へ帰国したあと、
実家を出て、部屋を借りる際、
仕事がないと審査が通らないと言われ、
2万円払ってウソの在職証明書を作ってもらい、
ようやく今の部屋を借りることができた。
このとき、いくらお金があっても、働いてないと、
ちゃんとした人として認めてもらえないんだと思った。
なぜなら、香港や台湾では、仕事を早々にリタイアし、
好きなことだけをして生きている人が、
すごい、と羨ましがられ、目標とされているからだ。
逆に日本では、70歳でも現役で働いている人が
すごい、と言われるが、ドMもいいとこである。
僕はこれまで、一生懸命、何かになろうとしていた。
多くの人から称賛されるような作家になろう、
会社では、みんなから頼られる上司になろう、
スピ的には、精神的に目醒めた自分になろう、と、
いろいろなことをしてきたが、ここへきて、
何者でもない自分がとても心地よく思えている。
まあ、物書き、絵描き、などはもう胡散臭さの典型で
いまはもう、とことん、胡散臭い人生を生きることが、
なんだか、かっこいい、と思えるようになっている。
ていうか、それ以外道はない、というのが本音だ。