前回の記事の続きで、
物書き、絵描き、は胡散臭さの典型と書いたが、
先日テレビで、落合皎児という油絵画家と
田中一村という日本画家のドキュメンタリーを見た。
80年代、バルセロナで活動した落合は、
ピカソやミロなどの巨匠と並ぶ「スペイン画家150人」
に選ばれ、称賛を受けていたが、日本帰国後は、
酒浸りで変わり者である落合の存在に振り回され、
妻は孤独死、次男は心を病み自殺、挙句の果てに、
長野のアトリエが火事になり、本人は焼死した。
そして、
長男に残されたのは、千枚の絵と1500万円の借金。
借金返済のため、何とか父の絵を売ろうとするが、
賞を取ったわけでもない父の絵は二束三文で…。
一方、田中一村は、戦前戦後に活動した日本画家で、
当時、水墨画を主としていた日本画を超えた、
あまりに斬新すぎる手法故に、日展、院展、など、
あらゆる賞に落選し、40歳で画壇と決別、
単身奄美大島に渡り、大島紬の工場で働きながら、
独自の創作活動を行なった。
しかし、絵は認められることなく、69歳で死去。
その後、NHKの番組で取り上げられたことで
人気が出て、その名が知られるようになる。
そして、番組の中で、彼が1973年に描いた、
《不喰芋と蹉跌》という絵を見た瞬間、なぜか、
僕の目に、わーっ、と涙がこみあげてきた。
絵を見て涙を流すなんて、生まれて初めてだ。
しかもパソコンの画面越しに、である。
👆田中一村。不遇な作家と言われるけれど、
好きな絵だけを描いて人生を過ごせて、
本人は絶対に幸せだったと思う。
この二人の〝絵描き〟に共通して言えるのは、
誰かに迎合するような絵など死んでも描かない、
という決然とした覚悟と信念だ。
そもそも、彼らの才能を以ってすれば、
万人受けする絵など、ちょちょちょ、ぱ、ぱ、ぱ、
と描けてしまうはずなのだ。
しかし、たとえ無一文で野垂れ死んだとしても、
そんな卑しいことはしない、という信念…。
僕もまた、そんな生き方をしたいと思っていた。
しかし、結果はサラリーマンでここまで来た(爆)
会社員が好い、とか、悪い、とかではなく、
要するに、
人からどう思われるかを気にして生きてきたのだ。
そしていま 「これが俺だ、文句あるかあーっ!」
というような作品を生み出す決心がつきつつある。
たとえ自分が肉体を脱いでも、作品は残ると思うから。
👆 人喰芋と蹉跌
もう完全に日本画の枠を超えている
あ、そうだ。いいこと思いついた!
〝つくし画伯の絵〟を今のうちに買っておけば、
画伯がご逝去されたあと(笑)、
その絵が何千万円に化ける、かも…。
え?
つくし姉さんが体を脱いで父の元へ帰る頃には、
俺もほぼ、
天国へ召されるお年頃だって?(共にアラカン…)
ていうか、男の平均寿命の方が短いやんけ!
きいぃーっ!
👇つくし画伯、個展されるみたいです