👆 試験日である12月18日は、
ちょうど僕の誕生日なのであった。
ようやく、二年生の後期期末試験が終わり、
学校も冬休みに入った。
僕が受け持っている、論文を書くクラスでは、
12人中、4人が合格点を取れず、追試となった。
その一方、100点を取った学生が二人もいて、
すっごくうれしい。
試験は主に、提示されたテーマに沿って、
800字の小論文を書く、というものなのだが、
漢字圏ではない、ネパールやベトナムの学生が、
日本語で自分の意見をきちんと書けるなんて、
もうすごすぎて、先生も感動しきり、である。
これはあくまで僕の偏見なのかもしれないが、
合格点が取れず追試となった4人は、いずれも、
家が裕福で、月に50万円ほどの仕送りを受け、
アルバイトもせずに暮らしている男子学生たちで、
卒業しても、国へ帰ってお父さんの仕事を手伝うから、
勉強なんかどうでもいいもん、みたいな子たちだ。
特に、中国から来ている富裕層の学生は、
みんな一人っ子なので(政府の一人っ子政策により)
親から溺愛され、殿様のように育っている。
だから、漢字が理解できて、他の国の学生より、
有利なはずなのに、日本語の文章が書けない。
とある、バイク命の中国人学生なんかは、
長距離遠征用と、休日のツーリング用と、
買物用のバイクを3台持っていて3LDKに1人暮らし。
もう、奇跡パパもびっくりくりくりな23歳である(笑)
で、この彼に、
パパさんのブログに出てくる青いバイクを見せて、
このバイク知ってる?って聞いたら、
フフ~んッ、て笑った。
え?…え? この笑い、どういう意味?
でもなんか、
全てが容易に与えられる人生って可哀そうだな、と、
そんな彼らを見て思ってしまうのだ。
感動がない、というか、今を生きている感じがしない。
逆に言えば、親の言う通りにしないと、
欲しいものを与えてもらえないわけで…。
第一、そんなのつまんないではないか。
まあ、人生は常に変化し続けるものであり、
今のような生活が一生続く保証なんてどこにもない。
そして、そんな彼らにもいずれ、おのれの人生と、
真っ向から勝負する時がやってくるのだろう。
なので、今の僕にできることは、補講をしまくり、
ビシバシ彼らに愛のムチ?を振るうことくらいだ。