香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

何も見てない

👆家の近所の焼き鳥屋さんでビンセントと一杯

 

大きな成功を手にしたら…、何億円あったら…、

 

自分が大好きなあの人から思い切り愛されたら…、

 

味わえるであろう〝幸せな愛の感じ〟と、

 

腹ペコの時に、塩むすびを食べた瞬間に感じる、

 

ああ、おいしいーっ、という歓びの感覚は、

 

全く同じ場所から来ており、そして、全く同じものだ。

 

また、究極にはこの〝幸せな愛の感じ〟こそが、

 

僕たちの〝本質の感じ〟であり、それでしかない。

 

 

逆の言いかたをすれば、この〝幸せな愛の感じ〟は、

 

成功しなくても、お金がなくても、誰かに愛されなくても、

 

ソッコーでもう、ここにある。

 

先日書いた、何かよいものを差し出す、というのも、

 

この〝幸せな愛の感じ〟を差し出している。

 

 

 

昨日食べたおにぎりの、おいしいいーっ、という感じ、

 

「ありがとうね」の一言で笑顔になった時の感じ、

 

土手に咲いている小さな花を見た時の癒された感じ、

 

のそれらの〝感じ〟の中に、

 

〝神の愛の響き〟がむき出しになっている。

 

ただ、誤解を避けるために言うならば、

 

おにぎりや笑顔や花の中に神が宿っているのではない。

 

それらを見た時に、自分の中に湧き上がる〝感じ〟、

 

その躍動そのものが神であり、よって神は、

 

自己の全体の活動の中に在る。

 

しかし、僕たちは、子供や親の世話だったり、

 

会議の資料作りだったり、LINEの返信の事だったり、

 

次にしなければならない事ばかりに気を取られ、

 

生活の中にすでにある、この天国の歓びの感じを、

 

ほとんど無視して生きている。

 

本当は、天国の歓びの感じを味わいたいがために、

 

子どもの親の世話をし、会議の資料を作り、

 

LINEで色々やり取りをしているのに…である。

 

 

👆 日本酒で乾杯!

 

 

「コンビニのおにぎり、まあまあ、フツー!」

 

「ありがとう!」「ああ、はいはい、どーもぉー!」

 

「この黄色い花?ああ、カワイイ、カワイイ」

 

天国の感動がむき出しでバン、とやってきても、

 

「ああ、はいはい」と軽くいなしてスルー…。

 

なぜなら、

 

僕たちは、仕事でいっぱしの人物になれないと、

 

大金を手にしないと、愛するあの人と愛し合えないと、

 

その天国の感じが味わえないと思い込んでいるので、

 

そんな小さな事にいちいち構ってなどいられないのだ

 

まったくもって逆である。

 

そもそも、コンビニのおにぎりの味にすら、

 

究極の感動(神)を見つけられないのに、

 

大金を手にして、その感動を味わえるはずがない。

 

「あれ?お金も成功も手にしたのに全然うれしくない」

 

となって、逆に地獄である。

 

また、定年後に好きなことをしようと思っていたら、

 

思いもよらない病にかかって、アウトーッ、

 

となったりすることもある。(👈俺かも…)

 

なので、

 

今この瞬間しかないからこそ、先送りをせず、

 

今ここに在る神、今この瞬間に顕われている光を、

 

もっと真剣に観て、味わうべきだと思うのだ。

 

たとえそれが、自分にとって、

 

どんなに都合の悪いモノであっても、だ。

 

 

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