👆 日本酒の飲み過ぎで、顔が真っ赤やん!
あらゆる苦しみの原因は、
思える(解釈できる)、という機能に起因しており、
まさにそれだけが問題だった、という話である。
まあ、非二元しかり、引き寄せしかり、悟り系しかり、
バシャールしかり、あやこさんなどの統合系しかり、
殆どのスピは、この解釈をどうにかするためにある、
と言っても過言ではない。
奇跡講座で言えば、
何かを見たり、聞いたりしたことを意識が捉えて、
そこから何かを思い、思ったことを解釈する。
そして〝こんな解釈をしてしまった自分〟を、
聖霊兄貴に委ね、自我によって歪められた解釈を、
神という一つの解釈に訂正してもらうのだ。
赦しの3ステップは、
解釈から出てきた罪悪感や恐怖や不安感を、
一瞬直視して、兄貴に明け渡したら、後のことは、
兄貴に全委任して一切関わらない、というものだが、
この一切関わらない、というのがクセモノで、
いくら赦しても、恐怖や不安を煽るような出来事が、
次々に起こってくるので、関わらずにいられない。
👆 冬ごもりに際して、先ずはワインのストック
目が見えたり、耳が聞こえたりするのと同じように、
思える、という機能が人間に備わっている限り、
解釈が起きてこなくなる、なんてありえない。
また、不安や恐怖だけを兄貴に取り除いてもらい、
愛や感謝の思いだけになる、なんてもっとない。
どんな思いや感情が出て来ても相手にせずにいると、
見えてくるものや聞こえてくるものと、
思い(解釈)との間には、何の関係もなく、
見えたから思えた、それを聞いたからこう思った、
ではないことが分かってくる。
そうなるとやがて、ただ思ってるだけじゃん、となり、
自分が思っているのではなかった、となり、
最後は、何が思えても大丈夫になってくる。
アンフィニ時代に、あやこさんがよく言っていた、
起こっているのは自分の中だけ、というのは、
本当にそうだった、といまなら心底腑に落ちて分かる。
そう思えている、だけで、外では何も起こってない。
思いに対して何もしない、思いを相手にしない、
それが赦しであり、聖霊に明け渡すことである。
なので、赦しとはどういうものかということを、
僕は、悟りを通じて学び、赦しの後に見える世界を、
奇跡講座から教えてもらった、といえる。