香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛の活動

 

 

先週の土曜、夜の11時くらいに、ジムへ行こうと、

 

電動自転車で梅田の繁華街を走っていたのだ。

 

土曜夜の繁華街は人も多く、酔った人も多いので、

 

注意深く走行してはいたのだが、前方の道を、

 

ある人たちの集団が横切ろうとしていて、

 

その隙間を縫うように突き抜けようとしたら、

 

その中の一人の男性(紫のスーツ/坊主の金髪)が、

 

避けようともせずそのまま僕の自転車に突進してきた。

 

 

一瞬立ち止まり、にらみ合い、そして、僕は走り去った。

 

彼にしてみれば、自分が歩いているところへ、

 

自転車がツッコんできた、と思ったのだろう。

 

彼がわざと僕の自転車を避けなかったのは明らかだ。

 

以前の僕なら、かなり動揺していたと思う。

 

「俺も悪かったかも…」と反省しつつも「なんだこいつ!」

 

と、心の中で、相手を罵倒し続けていただろう。

 

しかし、この時は、何の動揺も起きなかった。

 

その瞬間の、縁に触れて現れた姿として智覚され、

 

「コノヤロー!」という認識が立つ前の、

 

最初の〝あっ!〟のままで通り過ぎ、消えていった。

 

多分、たとえ、僕の若い頃のヤンキーの血が騒ぎ、

 

取っ組み合いのけんかになって、

 

結局相手からボコボコにされたとしても、

 

消えてゆく姿として、それが現われ、しばし留まり、

 

終わっていただろう。

 

 

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これは僕だけかもしれないが、ゼロ秒の〝あっ!〟

 

だけで生活ができるようになってくると、なんていうか、

 

ものすごい〝愛おしさ〟のなかで生きることになる。

 

なぜなら、見えているもの、聞こえているもの、

 

その活動自体が天国の活動であり、他に何もなく、

 

自身が〝愛の活動〟だったことを智るからだ。

 

 

天国はすでにここに在り、自分は常に天国にいるのに

 

眠りの中で別の夢を見ているために、

 

それが認識されない、とよく言ったりするが、

 

天国とは、認識より前の様子、ゼロ以前の様子、

 

決断の主体以前の様子なので、

 

天国が認識できていたら、それは天国ではない。

 

しかし、座禅や、赦しや、今に在る、ことなどによって、

 

認識以前の様子(天国)に、ふっと触れる瞬間があり、

 

その後、再度認識が戻った時に、

 

ここが天国であったことを智覚する。