なんか最近、ありがとう、と言う回数が、
めっちゃ増えている気がする。
スタバで、
コーヒーを淹れてくれた店員さんにありがとうと言い、
ジムのプロショップで、
プロテインを作ってくれたスタッフにありがとうと言う。
学校での講義中に、自分の質問に答えてくれた学生
1人1人にありがとう、と言うかと思えば、
普段は気恥ずかしくて言えない妹や母に対してさえ、
事あるごとに、ありがとう、を連発しているのだった。
ありがとうと言おう、とか、人に感謝しよう、
みたいにやっているのではなく、気づかないうちに、
口癖のように発していて、それである時、
「あれ?なんか俺、1日中ありがとうって言ってないか」
となった。
人生の砂時計の中で、フランクル兄貴が、
瞬間瞬間、どんないいものを相手に差し出せるか、
を意識することによって、人生の砂時計の砂の質が、
高くなってゆくのだ、と述べていたが、もうまさに、
街を歩いているだけで、周囲の人たちに、
何かいいものを放射しながら歩いている感じ。
それは、意図的に何かをしたり思ったりするのではなく
自然と勝手に〝振り撒いている〟という感覚で、
これが全肯定、全受容の中で瞬間瞬間生きる、
ということなのかな、と思う今日この頃である。