👆 時々、無性にこういうのが食べたくなり、
一人、カフェで舌鼓を打つ
僕は物理学者ではないので何とも言えないのだが、
僕がこのブログで常々言っているような現象、例えば、
街行く兄弟たちを見て、大好きーっ、が溢れ出したり、
お弁当の食べ残しでオーガズム(法悦感)に達したり、
憎しみの感情にさえエクスタシーを感じる現象には、
素粒子の働きが関係しているような気がするのだ。
足立育朗氏の《波動の法則》という本の中で、
陽子は意志であり愛で、中性子は意識であり調和だ、
と述べられていたが、
これって、あながち間違ってはいないと思う。
例えば、
僕が今この瞬間へと究極にフォーカスした瞬間、
陽子と中性子の世界(素粒子の世界)が、
ぞぞぞ、と波になって動き出し、その震動が、
愛が溢れてくるような、ゾワゾワするような、
オーガズムにも似たハートの感覚として、
感じられているのだと思う。
なので、
今この瞬間の神に開いて抵抗しない、ことと、
素粒子の活動に委ねている、は同じだ、と思う。
理論で学び、頭で納得する量子の世界ではなく、
ダイレクトな、ナマの体験として感じる素粒子…。
活動そのもののありようとしての素粒子、
のことを言っている。
上手く表現できないのだが、
一瞬一瞬が独立した、何の時空間的つながりのない
縦軸の今の様子に触れた瞬間、わわわわ、と、
ステレオグラムのように、
素粒子(神?)の世界が、立ち上がってくる。