👆 今年も見れた《ザ・眼福》(撮影は3月)
今のこの仕事は、全然やりたくなくてツラいけれど、
一応生活は安定するし、心の平安は得られるし、
退職金も貰えるし、厚生年金で老後はやってゆける。
だから、将来のために今はガマンしておこう、とまあ、
多くの会社員はこんな感じなのではないだろうか。
その一方で、年金一人暮らしでやっていけるのか、
病気した時のために保険に入っといた方がいいのか、
いざという時のために、70歳くらいまでは働いて、
などなど、将来に対する画策にいとまがない。
👆 多分去年とおんなじ樹だと思う
会社員だった僕も、まさにこんな感じだった。
しかし、今思えば、全くの徒労に過ぎなかった。
何の疑いもなく100%そう確信できるようになったのは
〝自我の考え〟で造りだした檻の中で、
不安に怯えて生きることに心底嫌気がさしたからだ。
もういい、もううんざりだ、もうたくさんなんだ。
こんな恐怖と不安に怯えて生きて行くくらいなら、
いっそ死んだほうがましだ、と、心から思った瞬間から
過去や未来に対する〝呟き〟を一切信じなくなった。
今この瞬間、電気があり、水道があり、ガスがあり、
ウォシュレットがある清潔で安全な部屋にいるのに、
光熱費が、家賃が、もうちょっといい部屋に…、と、
絶対に、今に満足させない自我のささやきに対し、
こんなウソの戯言なんてもう要らない、
と、心底嫌気がさしたのだ。
そうなのだ、もう要らないんだよっ!
そこから、自我との決別が始まった。
本当に、要らない。
絶望という禁断症状のその先に、
ほんとうの平安がまっている。