テレビで〝スマホ認知症〟について特集していた。
これは、スマホの過度な使用によって脳が疲弊し、
認知症と同じような症状を呈することをいう。
その原因は、漫然とスマホを見ていると、
膨大な情報に対して、脳の処理が追いつかず、
そこから、無意識の状態に陥り、
現実を認知できない状態が長時間続くことで、
色んなことが思い出せないだけでなく、
新しいことも覚えられなくなるのだという。
で、自分のスクリーンタイム(スマホの平均使用時間)
を調べてみると〝55分/日〟だった。
僕の場合、音楽を聴きながら筋トレをするか、あとは、
知りたいことを調べたり、LINEで必要な連絡をしたり、
くらいで、あまりだらだらスマホを見続けることはない。
なので、歩きスマホはしないし、電車に乗っている時も
食事をしている時も、スマホはほとんど見ない。
なので、僕はスマホ認知症から遠い人間だと言える。
まあ、街の通りを行きかう人や、カフェにいる人や、
電車で乗り合わせた人たちの中に在る〝神さま〟
を観ているほうが、スマホなんかを眺めているより、
僕にとってはずっとエクスタシーである。
幸い、周囲の人たちはスマホに目を落としているので
思いきり相手をガン見しても全く気づかれないし…。
最近では、すれ違う全ての兄弟たちから、
誰々さんとか、女の人とか、店員さんというような、
個人としての認識は消え失せつつある。
つまり〝神さま〟というアイデンティティしかないので、
相手が何をしていてもそこに差異が見いだせない。
それでいて、山田さん、として接することは可能で、
何だこいつ、という思いも湧き上がってくるのだが、
〝神さま〟という一つの認識に差は生じない、という
なんとも不思議な感覚なのである。
今、自分の周囲にいる人や目の前にある景色に、
人々はほとんど関心を持たなくなってきている。
外の世界は、自分ではコントロール不能なものであり、
よって、自分とは関係のないものだ、
だから、関わらないようにしよう、と…。
それにこのご時世、下手に見知らぬ人に関わると、
何をされるか分らないので無関心である方が得策だ。
なので、いつでもどこでも、終始スマホに目を落とし、
周りから関心を持たれないよう細心の注意を払う。
こうして、夢の中の夢、穴の中の穴、に潜り込むことで
天国(神)から逃げ続けることができる、
と思いこんでいる。(実際はそんなことは不可能なのだ)
なぜなら、スマホの中は自分でコントロールできるし、
見たいものだけを見ていられるからだ。
しかし、どんなに逃げ続けても、逃げ切れない。
どんなにAIが発達しても、父や兄貴はなくならない。
だって、神(父/兄貴)は、自分自身なのだから…。