またまた、井上哲玄老師のところへ行ってきたよ。
季節もよく、日帰り旅行にでも行くような気分だった。
老師はとても92歳とは思えないほどお元気で、
毎日血圧と体重を測り、基準値をオーバーすると、
食事や運動の量を調整して、元に戻しているという。
普通、歳を取ると、だんだん食べられなくなり、
痩せてゆくのが普通なのに、太るなんて、すごい!
奥様(40代/ぎょえーっ!)が片道90分の病院に、
お勤めに出ておられるので、掃除や洗濯などの、
家事全般は老師がご自分でやられている。
でもまあ、7月には前回書いた、広島のラーメン店主
伊原剛志似のお弟子さんが移住してくるので、
少しは楽になるかと思われ…。
(彼は3月にラーメン店を閉店しているが、
契約の問題があり、すぐには来られないらしい)
👆この上がり框を何度も下りたり上がったりして
トイレへ行く。これが筋トレになっているのかも
いつものように、お茶を飲みながら老師と話をする。
僕は先日起こった〝ジムでマシン取り合い事件〟
のことを老師に話した。
👇マシン取り合い復讐事件
今の様子のまま(ゼロの様子のまま)で生活していても
突然意識が立って分離してしまうことがあるのだ、
と話す僕に、
「どこも分離してないじゃないですか!」
と老師はおっしゃった。
「何だこいつ、とか、思い知らせてやろう、という思いが
縁に触れて出てきたならそれが自身の活動なんです。
そこに、分離したと言って良い悪いをくっつけている。
それがそう見えたのなら、それがそう見えたんです。
それがそう思えたのなら、そう思えたんです。
ふたつ同時に見えないし、思えないようにできている。
瞬間瞬間、必ずひとつです。だから、分離はできない。
それに、これは好い、これは悪い、といくら言ったって、
根っこは同じ〝ひとつ〟じゃないですか。
でもまあ、何十年も、普通に生きてきたわけだから、
解放が起きた(自己の真相が明らかになった)後も、
以前の習慣が出てしまうのは仕方のないことです。
あなたなんかまだマシで、会社とかに勤めてたら、
一発でどんどんずれていってしまう。
だから、こうやって、定期的に話をするのは、
とても重要なんです」
👆 玄燈庵の至る所に貼ってあったお札
この目で、外界にある何かを見ているのではない。
この耳で、外界で生じた音を聞いているのではない。
目そのもののが活動し、耳そのものが活動している。
これは、心臓が鼓動し、血液が流れ、食物を消化し、
栄養を吸収する、といった自身の体の活動にも似て、
見えている、聞こえている、その活動それ自体が、
自身の5官の活動そのものが、自分自身なのだ。
そこに、外の世界を見ている私など、どこにもおらず、
ただ、神の活動だけが生じている。