老師との個人参禅を終え、大阪へ戻った時には、
午後8時を過ぎていたが、
元気ハツラツオロナミンC!だったので、
その足でジムへ行き、筋トレをすることにした。
僕は、ウェアやシューズやタオルを全てレンタルできる
ゴールド会員なので、手ぶらで行って大丈夫なのだ。
(どや顔)
館内は、仕事帰りのサラリーマンたちで賑わっていた。
この日は、そんなにガチでトレをするつもりはなく、
空いているマシンを見つけては、適当に鍛えた。
ふと、通路に立ってフロア全体を見渡してみた。
アームカールをしているギャル風の女性、
25キロの鉄のプレートを10枚くらい重ねて、
レッグプレスをしているバルク系の男子、
例の、背中だけマッチョのおじさんもいる。
それぞれが、それぞれのマシンで、
それぞれのトレをしている様子を目にした瞬間、
彼らの活動が自身の活動そのものだ、
という事実がバーンとせまってきて、
泣き出しそうになった。
なんていうか、彼らの動きが、心臓の活動、
肝臓の活動、血液循環の活動、というような、
自身の体の中の活動のように感じたのだ。
なんだか、外側に、
自分の体の中の活動を見ているような感じ…。
全ての、外で起きている出来事だと思える事柄は、
私のこの目が活動しているようすであり、
私のこの耳が活動している様子である。
目の中に世界があり、目自身が活動している、
耳の中に世界があり、耳自身が活動している、
それらの活動に呼応して、思いが湧いてきている。
全てが自身の活動であり、それが神の活動なのだ。
誰かが意地悪をしてきても、それは自身の活動であり
決して、意地悪された、にはならない。
また、そこには、何かをしている他社も居なければ、
何かをされたようにみえる〝わたし〟もいない。
そして、僕たちはその事実に救われている。