以前、このブログでも書いたように、
数年前、僕がまだ香港にいた頃、長期間家に籠り、
スマホも見ず、パソコンも閉じ、時計も無くして、
ただひたすら今の様子だけに留まり続けた結果、
これまで〝自分〟の振りをして猛威を振るっていた
思考の独り言が完全に消えてしまう体験が起こった。
もちろん、
その瞬間には思考自体が無くなっているので、
その時の様子がどうだったのかを語ることはできない。
ただ、そこから再び思考が戻り、自己が復活した後も、
「こいつ何やねん!」「死ね!」という思いや、
不安、恐怖、悲しみ、といった感情が出ては来るが、
それが雲のように湧いては消えてゆく感じで、
その思いに実体がない感覚のまま過ごしていた。
やがて、日本へ完全帰国し、
会社組織というしがらみから解放されたこともあり、
心の平安が一気に加速したせいか、
なんの思考も通さない静けさの中から、
とてつもなく愛おしく、爆発的なエクスタシーの感じが、
ぎゅーっとこみあげてきて、四六時中ハートが疼き、
ヌレヌレ法悦状態、となった。
👇 ヌレヌレ法悦シリーズ
コースの学習者は、
悟っただけではだめだ、その先にはまだ神が在る、と、
静寂の体験をすっ飛ばして(どうでもいいものとして)
直接、神に繋がろうとしてしまいがちだが、
僕の体験では、見えてるまんまの静けさの中から、
神の法悦が立ち上がってきたので、先ずはやはり、
思考が完全に止み、認識以前の様子を智る体験が、
必要になってくるのかな、と思っている。
その体験の後では、すでに赦されていることが、
何もしなくても、はっきりする。