👆 月曜昼間の商店街。
一瞬、えっ?となるのは僕だけだろうか
養成講座時代の仲間が働く日本語学校から、
常勤講師として来てほしいというオファーがあった、
と、ちょっと前にこのブログでも書いたと思うが、
先日、その日本語学校の面接に行ってきたのだ。
場所は尼崎の杭瀬で、古い商店街の中にあった。
実際行ってみて、あまりの場末感にちょっとビビる。
ほとんどの商店はシャッターが下ろされ、
開いているのは、数件の鮮魚店や豆腐店のみ…。
聞けば、店主の高齢化で、全て閉店したのだという。
まるで、昭和のまま置き去りにされた町のよう…。
👆 昭和風情が残る街並み
香港の市場を思い出した
学校に併設されているカフェの一角で、
教務主任(60代/半白髪の田村正和)と面談をした。
すでに話は通っており、採用前提で面談は進んだ。
ここでは、ひとクラス20人、6クラス120人の生徒が、
4つの教室で午前と午後に分かれて学んでいた。
生徒のほとんどはミャンマーからの留学生で、
来年4月から、生徒数が急増するため、
専任講師(正社員の先生)が必要なのだという。
👆 ミャンマーの学生たちが怪しさを盛り上げる
しかし、実際ミャンマーの学生は真面目で勤勉、
政情不安で自国での勉強がままならない分、
一生懸命頑張る学生が多いのだ
これは面接の後に気づいたのだが、面談をしている間
使用教材、給料、交通の便、福利厚生、といった、
現実的なやり取りや駆け引きはちゃんとできる一方で
心は、今この瞬間、無策無為で空っぽだった。
談笑している学生達、商店街の匂い、部屋に響く声、
今この瞬間、これ以外には何もなかった。
👆 もちろん、今回面接を受けた学校は、
教室もきれいで、設備も整った、
ちゃんとした学校である
すぐには今の学校を辞められない、と答えると、
じゃあ、とりあえず9月からは
月曜の午後だけ非常勤で基礎科目を教えてみて、
それでやっていけるなと思ったら、来年4月から、
常勤講師として来ていただいても結構ですよ、
と、なんともありがたい提案をしていただいた。
帰りの電車の中で、正直ここはないな、と思った。
毎日ここへ通勤する自分が想像できなかったのだ。
なにより、今教えている学校を辞める理由がない。
それでも、昭和への小旅行は楽しかった。
大阪から15分なのに、こんな場所があったなんて…。
👇 僕の筋トレの原点ここに在り!
一見、無駄足、骨折り損、と思えるようなことでも、
意識のバックヤードでは、それが、
全く別のことを遂行するための必要不可欠なプロセス
だったりするので、今回の面接もその類いなのだろう。
一喜一憂が無くなり、完璧な今に明け渡している。