ほとんど、
頭の中のお喋りが停止している状態で生きている(笑)
ただ、思考の〝お喋り〟は出てこなくなったが、
思考自体は普通に出てくる。
例えば、授業をしたり、何かを話し合ったり、といった、
今この瞬間に、見たり、聞いたりしたことに呼応して、
何かを考え、それに即した受け答えはきちんとできる。
(まあ、当たり前と言えば、当たり前なのだが…)
ただ、その時に出てきた思いはその時だけで完結し、
終わればふたたび〝空っぽ〟に戻るので、
〝妄想お喋り劇場〟にまで発展していかないのだ。
じゃあ、その〝空っぽ〟の境地がどんな感じなのかを
言葉で説明しろ、と言われてもできない。
敢えて言うなら、ああ山田さんだ、ああ自動車だ、と、
言葉で分かる以前の世界で生きてる感じ…。
しかし、山田さんも自動車もきちんと認識できている。
まあ、井上老師の言を借りるなら、
言葉で説明できた時点で、もう真実からズレている、
ということか…。
例を挙げると、先日ジムで、
ベンチに仰向けになり、ダンベルプレスをしていたのだ。
そして、ダンベルをふりおろそうとした際、たまたま、
横を通ろうとした男性の身体にダンベルが触れ、
僕はもう少しで、40キロのダンベルを、
自分の顔の上に落とすところだった。
その男性はちょっと謝っただけで行ってしまったが、
その瞬間の僕の心の中は、一瞬ヒヤッとして、終わり。
危ないだろ、許せん、ちゃんと謝らんかい、みたいな、
心の中のひとりツイートが一切起こってこなかった。
多分、金を出せ、と刃物を突き付けられても、
「うう、怖いーっ!助けてー!」「ああ、助かったぁ!」
以上終わり、みたいな感じか。
👇 続いている人生、私の人生、なんてない!
これは決して、兄弟を信頼する、とか、直観に従う、
とか、ありのままを受け容れる、というような、
解釈的なものでやっているのではない。
なんていうか、世界だけが〝チョクに〟あるので、
自動的に起こっている活動だけに反応している感じ。
そして、その空っぽの中から、
爆発的な愛があふれ出てきて、全てが神になる。
すると、あらゆる物事が、パッ、パッ、パッ、と、
完璧なタイミングで起こっていることがハッキリし、
自分の考えも及ばない意外な展開になったり、
思ってもみない人とめぐり会ったりするようになる。
何のことはない。
〝居もしない私という存在がいる〟
という思い込みこそが、
唯一にして最大の問題だったのだ。