社畜という言葉をSNS上でよく見かけるようになった。
社畜とは元来、自分の生活や健康を犠牲にして、
会社のために働く社員、を意味するものなのだが、
今の若い人たちのYOUTUBEやSNSを見ると、
「30代社畜族やってます!」 「社畜OLの日常」
「ようやく社畜の仲間入りでーす!」というふうに、
卑下するような感じは全くなく、どこか、
割り切って社畜やってます、といった印象が強い。
そういう意味では、僕も長い間、社畜をやっていた。
僕の時代は、コンプライアンスの概念もなく、
パワハラという言葉すらない、文字通りの社畜だった。
今思えば、よくあんな所に何十年も居れたなあ、と、
自分でもホトホト感心してしまうほどだが、
昔、アンフィニのあやこさんがよく言っていた、
赤ちゃんの靴の中に自分をぎゅーっと押し込んで、
生きているような、そんな感じだった。
まあ、僕の場合はたまたま、海外駐在員という、
海外での勤務だったから続いたのかもしれないが、
それでも、自分が会社でやってきた仕事、例えば、
中国に工場を作ったり、上海株に投資をしたり、
他の会社を買収したり、会社の金を動かしたり、
といった、当時はすごくやり甲斐を感じて、
「俺は今、仕事で自己を表現して、るーっ!」
みたいにやっていた仕事も、
今振り返ってみると、そこに自分の意思など、
全くなく、全てが会社にお伺いを立て、
会社の決定通りに動いていただけだった。
それに、
当時していた仕事の内容は全く覚えていないのに、
ふぁちゃん、ケリー、コンババ部長、エドワード、
など、この仕事をしていなかったら出会えなかった
人達との数々の思い出は、今でも鮮明に覚えていて、
僕の中で、愛おしいものとしてキラキラ輝いている。
👇 コンババ部長詰め合わせセット
👇 部下との思い出いろいろ
👇 僕が社畜になった瞬間
最近、人と(特に同僚と)極力関わらない仕事がいい、
と、在宅勤務ができる職場を望む人が増えている。
また、家でもできる仕事は、極力、家でしよう、と、
効率化のため、在宅勤務を推奨するいう企業も多い。
それでも、自分の会社員時代を振り返ってみたとき、
思い出すのはやっぱり、仕事そのものではなく、
それに直接関わった人達の〝ナマの〟顔である。
先輩には、理不尽なことでたくさん怒られたが、
それでも、僕がピンチの時には助けてくれた。
部下のふぁちゃんにはたくさん業務上の無理を言い、
上司のコンババ部長とはたくさんケンカもした。
中国の党書記とは、さまざまなことでやり合った。
社畜だった時の思い出は嫌な事の方が多いが、
彼らと共有した時間の中で生じた憎しみや怒りは、
時間と共にゆっくりと昇華され、
次第に愛おしいものに変わってゆくから不思議だ。
(家族や肉親や友人間の愛憎問題とかだと、
なかなかこうはいかない…)
あ、なんか、
社畜の話から、変なところへ話が飛んでしまった。
では、ここらへんで、おやすみなさい。