
多くの人が、
スピリチュアルや宗教や占いにハマるきっかけとして、
お金がない、病気になった、会社がブラックで鬼、
好きな人が浮気してる、すっごく嫌いな人がいる、
毒親との関係がつらい、家族といろいろ揉めている、
介護きつい、孤独だ、事業がうまくいかない、
容姿や学歴や性格に関する劣等感、などがあるが、
(ていうか、悩みの99.9%がこれらの内のどれか…)
でも、ようくようく見てみると、これって全部、
自分の思いの中(脳の中/心の中)だけで起きている。
いやいや、今の自分は病気で死ぬほどしんどいし、
お金がないのは事実だし、このままだと倒産だし、
親の介護でオシメ換えてるし、実際ブサイクだし、
と反論したくなるが、今この瞬間やっているのは、
家でご飯を食べていたり、ベッドで寝ていたり、
スマホを見ながらなんかやっていたり、
年老いた母のオシメを換えている、
という事実しかない。
悩みには実感だけがあり〝実体〟がない。
ただ、どうしよう、いやだ、怖い、やりたくない、
と、自分の中の思いだけでぐるぐるしている。
じゃあ〝どうしよう〟をここに出して見せて見ろ、
と言われてもできない。
自分が見たものしか信じません、証拠を出せ、
とか言っているくせに、思いを証明できない。
お金も、ある時はあるし、病気も、なる時はなるし、
いい仕事も、見つからない時は見つからないし、
死ぬときは死ぬのだ。
自分で解決しようとするのを完全に放棄する。
なんとかしようとする自分の全てを捨て去り、
もうどうなってもいいや、と、神の前で大の字になって
完全な今に委ね切るとき(自分をやめ切るとき)、
一切の頭の中のお喋りが鳴りやむ瞬間が訪れる。
その次の瞬間、とてつもなく大きな愛おしい何かが、
ぐわあーっ、と駆け寄ってくる。
とは言っても、僕もまた、
自分なんてホントーになかった、ということが、
頭ではなく、体験からの理解で明らかになるまでは、
ちょちょ舞っていろいろやってしまっていた。
いまでも、バーンと思考へ振り戻されることがあり、
その度に、老師のところを訪れ、ブレを修正している。
というわけで、
明日、井上老師のところへ個人参禅に伺うので、
今日は早く寝よっと…。