香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

世界まるごと勘違い

 

 

今回の井上老師との独参(老師と1対1の対話)では、

 

頭の中のお喋りだけで人生やってた、ということが、

 

ありあり、まざまざと、腑に落ちてガツンと入った。

 

 

例えば、アイツ死ねばいいのに、という憎悪、

 

これが気に入らん、あれがほしい、どうすれば…、

 

という好き嫌いや良し悪しの想い、

 

あの人、こっち見てちょっとニヤッとした、

 

自分になにか落ち度があったのか、または、

 

グループチャットで、自分だけスルーされる、

 

きっと自分は嫌われているんだ、怖いーっ、とか、

 

10年前に浮気して離婚した元旦那のことが、

 

いまでも許せないーっ、とか、

 

子どもの頃に母親に虐待されたトラウマが今でも…、

 

とまあ、例を挙げればきりがないのだが、

 

これって、全部頭の中の思いの中だけで起きていて、

 

今この瞬間、ここには何もない、ということが、

 

ストーンッ、と腹に落ちた瞬間、解脱する。

 

いや、

 

死ねばいいのに、と思った瞬間があったのは事実だし

 

旦那が浮気をしたその瞬間があったのも事実である。

 

ただ、今この瞬間は、その時の思いの残像しかない。

 

また、相手がこう思っているに違いない、

 

というのも、大いなる勘違いである。

 

本当に相手がどう思っているかを知りたければ、

 

相手に直接聞けばいいのだ。

 

聞く勇気もないくせに、勝手に解釈して悩んでいる。

 

 

 

 

 

例えば、九谷焼の茶碗が目の前にあったとして、

 

これは江戸時代の有名な誰々が作った茶碗で、とか、

 

愛するあの人が愛用していた茶碗だから、とか、

 

また、これは私の茶碗なので他人には触らせない、

 

といった〝思い〟を、茶碗に乗せて見ていたりする。

 

そんな思いを取り払って見れば、そこには、

 

茶色い色した、地味な丸い何かがあるだけだ。

 

そして、解釈する以前の様子の中から、

 

神がわわわ、と立ち上がってくる。

 

 

 

 

これは人に対しても全く同じである。

 

家柄、生い立ち、気性、見た目、服装、地位、

 

相手が発した、むっかーっとくるような言動、

 

それらの思いを全部取り払ったら、眼前にあるのは、

 

ただ、目があり、鼻がある、人の形をした肉体だけだ。

 

そして、口を動かして声を発している、

 

その肉体に救われていることを智る。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

思っていることに罪はない。

 

あいつ死ねばいい、なんて思っている自分に、

 

罪悪感を感じる必要などない。

 

なぜなら、

 

何かを思っている自分など、どこにもいないのだから。