香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

一生に一度の大喧嘩

👆 玄燈庵では、老師がメダカを飼っていた

 

 

久々に、奇跡講座について語ってみたい。

 

奇跡講座のテキストを何百回読むより、

 

座禅や瞑想を何千回するより、

 

覚醒したマスターのスピ動画を何万回見るより、

 

自分の心の中を癒し、今の苦しみから解放されて、

 

最速で父が待つ故郷へ帰還する有効な手段がある。

 

それは、誰かと〝大喧嘩〟をすることである。

 

相手と真正面から対峙し、自らの怒りや不満を、

 

なんの遠慮もなしに、思い切り相手にぶつけるのだ。

 

ただし、親兄弟、パートナーとの喧嘩は除外とする。

 

そうなると、

 

残る相手は、仕事関係の同僚や上司や得意先、

 

または、友人や隣人や見知らぬ人、ということになる。

 

特に日本人は、親しい人にさえ本音を言わない。

 

言わないくせに、分かってほしい、と思っている。

 

言いたいことを言わずに黙っているのは、

 

一見、謙虚なようだが、これって神社へ行って、

 

「神様、願い事は言わないけど察して叶えて下さい」

 

と、お祈りしているようなものだ。

 

「こっちの意図をちゃんと察して行動しろよ!」

 

とまあ、実はとても傲慢で、身勝手なやり口である。

 

 

 

 👆 なんとソーラーパネルで空気と水を送っている
  (多分、お弟子さんが設置したと思われ…)

 

 

喧嘩はある意味、究極の本音で相手と向き合う行為だ。

 

その時その瞬間の縁に触れて起こることなので、

 

ルールなんかなく、罵り合い、叫び合い、

 

取っ組み合い、モノを投げ合ったりする。(笑)

 

それは、ネガティブで破壊的で、よくない行為だ、

 

と、考える人は多いが、そうとは限らない。

 

 

 

 

もちろん、暴力行為や、むやみに相手を罵るだけ、

 

みたいな喧嘩は論外中の論外だが、喧嘩をするには、

 

多大なエネルギーと、覚悟と、勇気がいる。

 

どう反撃されるか分からないし、

 

周囲の人たちからもどう思われるか分らないし、

 

人間関係も一気に崩れ去ってしまうかもしれない。

 

だから、みんな自身の立場をわきまえ、ぐっと堪えて、

 

その場をやり過ごすことがほとんどである。

 

いや、社会人として、普段はそれでいいのだ。

 

ていうか、そうでなければいけない。(笑)

 

要するに、自己を解放するためにする大喧嘩は、

 

〝一生に一度〟で十分なのである。

 

さもないと、抑圧された怒りや不満は蓄積され、

 

こいつなら大丈夫、という弱い相手に爆発させたり、

 

また、相手がいないときは、自分を攻撃したりする。

 

 

 

 

僕も昔、年下なのにタメ口でダメ出ししてくる

 

コンババ部長に切れて、大声で怒りをぶちまけた。

 

結果、しばらく、すっごく関係が気まずくなったが、

 

その後、僕の中から出てきたのは相手に対する

 

ものすごい感謝の気持ちと愛だった。

 

僕はこの時、

 

相手に扮した自分と対峙し、赦したのだ。

 

本音を吐き出したことで、相手に投影して見ていた、

 

自分の中の罪悪感に決着をつけたのである。

 

 

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このコンババ部長タメ口事件以降、

 

攻撃されても、全く気にならなくなり、

 

(ていうか、攻撃されている、と感じなくなり…)

 

やがては、攻撃してくる人がいなくなった。

 

 

自分が癒されない限り、他者を幸せになどできない。

 

なぜなら、他者は自己の投影であるからだ。

 

なので必ず、ぶるぶる震えながら、

 

他者に扮した自己と対決する瞬間が来る。

 

その時を先送りしない。