香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

判断と罪悪感

 

 

やっと、前期試験が終わった。

 

前期試験の最終日のテストが僕の担当教科で、

 

3人の先生が監督にあたった。

 

最後、一人のバングラディシュの男子生徒の机に、

 

〝会社〟〝取引先〟と鉛筆で小さく書いてあるのを、

 

監督していた別の先生が発見し、即不合格となった。

 

彼は「この漢字で合っているか、試し書きしただけ」

 

と、職員室に来て泣いて訴えた。

 

この生徒は、日ごろの授業態度も真面目で、

 

彼の様子から、ウソをついているようには見えない。

 

しかし、主任教官と話し合った結果、

 

例外は認められない、ということで、

 

彼の試験結果は0点、罰金を払って追試となった。

 

 

 

 

相手に対し、何らかの判断を下さねばならない時、

 

また、

 

「こういう決まりでしょ!」と正義を主張したくなる時、

 

スピ兄弟たちは、多かれ少なかれ、罪悪感を覚える。

 

これでいいのか、とか、相手にどう思われるだろう、

 

という思いと同時に、一種の後ろめたさが出てくる。

 

そこで、この恐れを直視してみたり、委ねてみたり、

 

と、心の中でどう処理してゆくか、をあれこれ考えた

 

結果、それは起こっていなかった、みたいな感じで、

 

自分の葛藤に折り合いをつけたていたりする。

 

 

この生徒は真面目だし、嘘ついてるように見えないし、

 

今回は大目に見てもいいんじゃないか、と思う前の、

 

最初のようすは、机に漢字が書いてある、であり、

 

そこから、

 

机に漢字➡カンニングした➡生徒が訴えている様子

 

➡やってないかも➡主任と話す➡やはり規則だから

 

というふうに思いが移行して、最終的に追試となった

 

ように見えているが、実際は、

 

その瞬間瞬間の思いは独立していて繋がっておらず、

 

その瞬間瞬間、その今の思いが出てきているだけだ。

 

それで最後の判断が、

 

「それは規則で決まっているからダメでしょ」であれば、

 

それこそが、その瞬間の自己の生きざまである。

 

 

規則で決まってるから追試という思いがいきなりあり、

 

彼がカンニングしたとか、そういう余計な思いは、

 

何もくっついていない。

 

自分がこういう判断をしてしまったのは、

 

厳格な親からこう教えられてきたから、とか、

 

過去の経験からくるトラウマでが原因で、

 

罪悪感からの判断しかできない、というのも、

 

〝後から〟くっついてきたもので、

 

その余計な思いを引きずっていなければ、

 

今この瞬間に感じている判断だけがある。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

一歩引いて邪魔をしない、兄弟を赦す、というのは、

 

その一瞬の出来事に触れて出てきた思いのまま、

 

本当に何もしない、ということである。

 

というわけで、何もしなかった結果、

 

追試の監督のため、今週も出講である。