
👆近所の中国人がやっている串カツ屋で
串カツを食べる
僕の周囲には、
乙女ののりちゃんやスワットしおちゃん、といった、
聖霊に一致させて動くデイヴィッド派(笑)の学習者と、
もりGさんなど、ワプニックの形而上学を学ぶことで、
赦しを完結させ、夢を終わらせようとする、
ワプニック派(爆)(爆)の兄弟たちがいる。

👆 場末感半端ない串カツ屋さん
お客なし。多分1年以内につぶれる
「賃貸の部屋を探していて、聖霊のガイダンスに従って
行動したら、すごく良い物件が格安で見つかった」
「コンサートを企画したら、ガイダンスによって、
無料で撮影、編集してくれる人が見つかった…」
「ずっと隠し持っていた罪悪感を、信頼できる兄弟に、
シェアすることで、あると思っていた罪悪感が…」
「地獄経由で天国へもどってゆく…」
「この世界で、現実的な幸せを感じているのは、
地獄を天国と思い込んでいる証拠だ」
「決断の主体にまで戻って選択しなおす…」
とまあ、これらの例は、
かつてコース兄弟達から聞いた言葉なのだが、
そこに何かを実践している〝自分〟がいる限り、
真実を横取りして、自分の手がらにしようとする。
僕の場合も、赦すべき誰かなんていなかったことが
明らかになった瞬間から、真の赦しが始まった、
ような気がしている。
自分というものが完全に消え去り、
見えているそのもの、聞こえているまんま、の、
チョクの実相、ナマの天国、ダイレクトの奇跡が、
バーンとむき出しになった様子が露わになった時、
〝神は在る〟(God is!)という事実を悟るのだ。

👆 この日は洋食屋で〝とんてき〟を食べる。
ボリュームすごくてお腹いっぱいに…
と、ここで再び、前回のお金の問題に戻るのだが、
このように、お金がどうのと言っている自己が消失し、
〝ナマの事実〟だけになってしまうと〝な・ぜ・か〟、
必要な事が、ピタッ、ピタッ、とタイミングよく起こり、
必要なときに、必要な人が現われて、最終的には、
〝お金の心配をしなくてよい〟ようになってくる。
多分、奇跡講座が言う、あなたが努力せずとも、
聖霊が他の全てを手配するだろう、というのも、
このことを指しているのだろう、と思われる。

👆 お肉屋さんが経営している洋食屋
そもそも、なぜ僕たちが、
お金のことばかり考えているのかというと、
お金がなければ、恐ろしい現実に襲われ、惨めで、
苦しい日々を送ることになる、と思っているからだ。
しかし、よく考えてみてほしいのだが、あなたの周りに
お金がなくて、飢え死にした人がいるだろうか。
お金がなくても、生活保護をもらったりしながら、
みな、それなりに暮らしているのではないだろうか。
お金がなくて苦しむのは、お金がある人と比べて、
自分は…、と思うから苦しいのではないだろうか?
👇ワプニックを〝信奉〟していたころの僕
要するに、
お金さえあれば平安だ、と思い込んでいる〝自己〟、
あると思っている罪悪を見つめている〝自分〟、
赦しを実践しないと救われないと思っている〝私〟、
そんな自分こそが、赦すべき唯一の幻想である。