
今回、シスコ兄貴のマンション購入に付き合ってみて、
ふと気づいたのだが、そう言えば自分って、
金融都市香港に30年も住んでいながら、なぜか、
不動産投機や株の売買やFXといった投資関係には、
全く興味を持たなかったなあ、と改めて思った。
周囲の香港人の友人たちが、株や不動産投資で、
いくらいくら儲けた、という話を得意げにしていても、
羨ましいとも、なんとも思わなかった。

僕の場合、
独身で子供もいないのでマイホームという考えもなく、
都会の便利な場所に実家があり、まあ最終的には
そこに住めばいい、と漠然と思っている。
また、モノを作って、売って、代金を頂く、という、
製造業一筋でやってきたせいか、投機的なものには、
どうしても胡散臭さを感じてしまうのだ。
まあ、人それぞれ、持って生まれた性分があり、
どちらが得とか損という問題ではない。
だからこそ、物理的に何を持っていても、いなくても、
何も抱えず何者でもないもの、でありたいと思うのだ。
年齢を重ねるにつれ、僕たちは様々なものを手放し、
強制終了させられ、何者でもないものになってゆく。
ひょっとして、
自分が何者でもなかったことを思い知るために、
いや、自分でさえもなかったことを智覚するために、
人は歳を取ってゆくのではないのかと思ったりする。
そしてその事実を100%認め、受け容れるとき、
心からの解放と平安が訪れるのだろう。
死なないようにする行為、
例えば、食べ物や行動を制限したりしているとき、
本当には生きていない。
コントロールをやめたとき、平安と愛が輝きだす。
👇「何者でもない」については、つくし姉さんが
とても分かりやすく書いてくれているよ!